外国で暮らすということ

| コメント(5) | トラックバック(0)
tage20061114.jpg

 前にも書いたかもしれないけど、11月という月は、ドイツでもっとも自殺者が多い月だと聞く。真偽のほどは知らないが、この天気では納得がいく。
 日照時間がどんどん短くなる。冬時間に変わって、日暮れが自動的に1時間早まることがこれに拍車をかける。寒い。行事的に見てもVolkstrauertag,Totensonntagなど、死者を慰霊する日が並ぶ。

 そんな月のせいなのか、気づいたら私も鬱に襲われていたようだ。

 ベルリンで暮らし始めて以来、この鬱な気分には何度も襲われている。何か特別なきっかけがあるわけではなく、気がつけば気分がブルーになっているのだ。悲観的になり、やる気が出ない。これまで私の場合は、冬よりもむしろ3月とか6月が危なかったのだが、今年はどうやら11月に来たようだ。

 こんな経験は、日本に住んでいたときには一切なかった。ベルリンに来て、初めて知った感情だ。

 これはたぶん、外国で暮らしているからだと思う。

 日本に帰ると、人の多さやせわしなさにうんざりするが、根本的に感じるのは、そこで生きることのラクさだ。私は日本人だから、日本で生きることに関して何の疑問も感じなくてすむ。日本人で、日本で生まれて、日本で生きる。当たり前。
 でも、外国で暮らすということはそうではない。私がベルリンで暮らす限り、常に「いつまでいるのか」「何のためにいるのか」という考えがついて回る。特に私は、会社などから命令されて赴任しているわけではない。好き好んで勝手にいるのだ。

 そして、外国にいることの所在の無さ。ここで襲われる無力感、孤独感は、すべてこの「所在の無さ」から発生しているような気がする。
 この街で友人や知人もできて、いろいろな人に助けられて、恵まれていると思う。でも、たとえば日本で家族とともにいるときに感じるような、「自分は無条件でここにいていいんだ」という安心感は、外国では得られない。
 きっと、どこまでいっても、この「所在の無さ」感はなくならないだろう。仮にここで家族ができたとしても(私は日本で結婚しているのでそれはあり得ないが)、この気持ちは消えないと思う。

 でもこの「所在の無さ」は、裏返せば束縛とは無縁の気軽さだともいえる。

 外国人でいることの、所在の無さと気軽さ。外国で暮らすということは、この2つを持ち続けていくことなのかもしれない。

コメント(5)

こんにちは!ご無沙汰してます.

こちらも慌しい毎日をおくっていたら,もうベルリンに
戻られていましたね.

外国,ドイツで暮らすというのは自分の中ではちょっと憧れ
ますけどね.
短期間の旅行ではまさに「外国人」なんですが,長く暮らしても
やっぱりどこかは「外国人」なんですね...

文字化けしてから書いていませんでしたが、、、的はずれてたらごめん。
でも、そういう感情は抜け道がないよね。たぶん、まだまだ、自分を探して、ここで何が出来るのか探していて。ゆきちゃんの気の持ち方次第と(外国に居ることが普通と感じる、自分はここで生活してる)なんでもよかった若さ!がなくなってきてるのもあるかも。私の場合、逆バージョンでありそうです。

Miyappyさん、こんにちは。
旅行じゃなくて生活していてもやっぱり外国人だと感じますね。
ただ、別に人種差別的扱いを受けたとかいうのではないですよ。単に自分の中の感情です。

ゆみさん、コメントありがとう。
文字化けは大丈夫みたいね。
きっとベルリンに予想外に長くいるから、
こういう気持ちになるのかも。それは、落ち着いてきた
ということなのかもしれないけど。

ご無沙汰しています。
ゆきちゃん、たぶん、それは『年齢』のせいもあると思います。
昨年、突然声が出

りもママさん、こんにちは。
この気分は年齢のせいですか!なかなか厳しいご意見ですね。
まあ、私もいいトシですが。
ベルリンでは、1年に1回はこういう気分になりますね。
自分の中で解決するしかないと思います、こういうときは。
ベルリンに遊びに来るのなら、やっぱり11月はやめたほうがいいですよ。わざわざ憂鬱になりに来ることはないですもん。

トラックバック(0)

トラックバックURL: https://www.kubomaga.com/cgi-bin/mt5/mt-tb.cgi/18

2022年11月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

アーカイブ

メールください
info@kubomaga.com