エコと呼ばないで

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 最近ある雑誌の原稿を書いていたら、ネタが「保証金を含むビール瓶」、「買い物袋」、「スーパーの自社ビオ(オーガニック)ブランド」になってしまい、全体の流れをまとめるために自然とくくりがエコな感じになってしまい、考え込んだ。
 
 ドイツといえば、日本ではエコのイメージが強いと思うけど、私自身はあんまりそういうことを強調したくないんだよな。
 確かにEUのほかの国と比べたら、環境に対する意識は強いと思う。見習うべき点は多い。それを伝えていくのは、ドイツに住んでいる書き手の役目だと思う。それは否定しない。
 だけど、場合によっては極端に誇張して書かれている本や記事もあったりして、私はそういうのが嫌なのだ。

 記事というのは、そこに書き手や編集部の意図が必ずあるわけで、「ドイツはエコ」という意図のもとに書かれたものは、生活全体・ドイツ全体の中のエコな部分だけを取り出して書くわけだ。要するに、意図に合った情報だけがピックアップされて報道される。その他の部分はみんな知らない。
 だから、それを読んだ人は、ドイツは隅々までエコな国、と思うだろう。すると、実際に来てみて現実とのギャップに戸惑う。たとえば、舗道に割れたビール瓶の破片やゴミが落ちているのを見て、「ドイツってもっときれいな国かと思ってました」という感想を持ったりする。

 だから、私はエコについて書くときはなるべく淡々と書こうと心しているのだが、なかなか難しい。

 しかし、本来エコであることは別に悪いことじゃない。多くの国が地球温暖化に歯止めをかけようと努力している(よね?)。
 それに自分の行動を考えたら、けっこうエコ、というかロハスっぽいと思ったりする。だけど、他人からそう思われるのはなんか嫌だ。

 それは、エコを主張する人の中に、「エコじゃなきゃダメ」という絶対的正義を感じることがあるからだと思う。ほかの人に説教を垂れたり、ほかの考え方を受け入れなかったり、そんなイメージ。そういう行動によって、エコという言葉に対してみんなアレルギーを持ってしまう。ビオという言葉も然り。
 私もそうだった。

 でも、そうじゃない人も本当はたくさんいる。ゆるくていい、できることからでいい、という人たち。そういう人の話を聞いて、私自身のエコアレルギーも消えていった。

 私自身は買い物袋も持参するし(日本でも)、ビオ商品もよく買うし、車も持っていない。
 でもそれはエコのためというよりも、単に袋にお金を払いたくないからとか、ビオの食べ物はうまいことが多いとか、車を買うお金がない、という理由から。
 それに加えて、自分にとって不要なものに資源やお金を使ってほしくない、という気持ち。地球のためじゃなくて、自分のためにやっているんだ。
 私にとってはエコ=エゴだな。地球のためじゃない。「地球のために。子孫のために」という気持ちでは、私にとってはしんどい。

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