敗戦国のインテリア

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しかし透明な裸電球は美しいとも思う


 ベルリンに来たばかりの頃、先のことがわからないのとお金がないのとで、自分の部屋づくりなどないも同然だった。照明は天井からぶら下げた裸電球。
 それを見たドイツ人が、その裸電球を消し、おもむろにデスクライトを壁に向けて点けたことがある。間接照明のほうがずっと雰囲気がよくなることを学んだ瞬間だった。

 ベルリンでお宅インテリア取材をしていると、日本とは意識がずいぶん違うように思う。照明へのこだわり、古い物への愛着。ヨーロッパだからだろうと思っていたけど、どうやらそうではなかった時代もあったみたい。

 ベルリーナーのお宅の取材時に、日本のインテリアについて聞かれることがある。日本では間接照明への意識はまだ低くて、親の世代は蛍光灯の明るい光を好むと話すと、「ドイツでもそうだったよ」という返事が返ってくることがあった。現代のベルリンのお宅を見ていると信じられないけど、終戦後は人々が明るい照明を取り付けたがったらしい。

 これって、敗戦という事実が大きく影響しているんじゃないかと思う。敗戦の苦い思い出から逃れたかったんじゃないのか。明るい光は未来への希望につながっていたのだと思う。

 家具についてもまた同様で、現在の60〜70代ぐらいの人たちは古い家具に全然価値を見いだしていない人が多いという。だからどんどん処分されてしまう。
 それを、古い物が好きな若い人たち(特にベルリンではユーズド家具が大人気)が蚤の市やユーズドショップで買ったりしている。

 ということは戦後生まれが成人して、ようやくインテリアの場面で敗戦国としての記憶から自由になれたということなのかね。

 日本はどうなんだろう。日本って照明は明るい直接照明が好まれるし、家具も新しいのを買いたがるよね。あ、でも日本はユーズド家具そのものが少ないし、日照時間も違うからなあ......。

コメント(4)

面白い考察ですね。
戦中から戦後にかけての歴史ということで言えば、ドイツではアメリカのライフスタイルが及ぼした影響って、どの程度あるんでしょうね。

ベルリン(西)の戦後史の本を読んでいると、ソ連が西ベルリンを封鎖したときにアメリカが物資を飛行機で運んでくれた作戦についてとか、ケネディーの感動的な「Ich bin Berliner」の演説とかの話が出て来て、「西ドイツの人って、アメリカが好きだったんだろうな〜」という感想を持ちます。

日本もそうですが、ドイツもきっと、豊かなアメリカ文化に影響されたんじゃないのかなーと思うんですよね。
アメリカの側も戦略的に、敗戦国をアメリカ的価値観へと導いていこうとしていたはずですし。

ドイツの戦後のインテリアにも、アメリカの影響ってきっとあるんじゃないのかなー。
ベルリンの場合は、東西に分かれていたので、ほかの街とは事情が違いそうですが。
こういったことについての久保田さんの考察を聞いてみたいものです。
(自分ではよくわからないので、疑問だけ投げかけて、プロに教えてもらおうという魂胆です…笑)

みづさん、こんにちは。
西ベルリンにとって、アメリカの存在は大きいと思います。テンペルホフ空港が閉鎖されるときも、反対の声がずいぶんと聞かれました。西ベルリーナーにとっては、アイデンティティに関わる問題だったのだと思います。
みづさんからアメリカといういいヒントをいただいたので、今後はそれに関しても聞いてみたいと思います。私が取材する人は30〜40代が多いので、本当はもうちょっと上の世代の人に話を聞けるといいですよね。

敗戦とインテリアとの関係は、これまでいろんな人から聞いていたのと、ドイツ以外の欧州育ちのドイツ人数名から聞いた話がヒントになりました。少なくとも英や仏は、ドイツよりもさらに古いものをそのまま残そうとするそうです。それは国民性によるところが大きいでしょうけど、敗戦の影響もあるなと思いました。
あと、ベルリンとその他のドイツとでは終戦後の状況が大きく違うので、西ベルリーナーと西ドイツ人は分けて考えた方がいいんじゃないかなと思っています。

西ベルリーナーにおけるアメリカの存在について、自分の中で何か見えてきたと思ったらまた書きますね。

 まだ子供だった昭和40年代、家のあかりは、棒状の蛍光灯が2本むき出しで光るようなものでした。
 それでも、白熱電球は廊下や物置のようなところにあるものという固定観念があって、蛍光灯の茶の間(リビングという名称はまだ無かったような気がします)に比べて、白熱電球は寂しい印象でした。(たぶん20Wそこそこ?で暗かったからでしょう。)
 長じて、ドイツに旅行してデパートの照明売り場を見たとき、日本の家電店に比べて、デザイン性が高く個性的なものが多種多様に並んでいるを見て、先進性に驚かされました(そのころはまだ、日本でもヤマギワなど知らなかったので…)。
 でも、ドイツも初めからそうだったのではなく、戦後からの歴史の歩みがあったのですね。インテリアなどの華やかさだけでなく、暮らし方にも歴史があるということ、新しい学びになりました。どうもありがとうございます。

クニさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
私の幼少時も昭和40年代です。当時わが家のお茶の間では、天井から蛍光灯のペンダントライトが下がっていたと記憶しています。蛍光灯は、おそらく今でも日本の主流な照明ですよね。
ドイツの戦後インテリアの様子は、取材の折々で聞いた話で、私の体感なんです。できればそれを本などの資料で裏付けられればと思っています。
物にはそれぞれの歴史があります。ドイツ人たちが、素晴らしい、美しい、使いやすい、便利だと感じた結果存在している物が、いま目の前にある物だと思います。そこに漂う国民性や歴史、美意識などをすくい取ることができるようにもっと学んでいかないと、と思っています。

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