(*ベルリンのお店やライフスタイルに関しては、在ベルリンガイドの松永さんとの共同ベルリン情報ブログ「おさんぽベルリン」をぜひご覧ください。バリバリ書いてます)
「理解した」という感覚を持てることが、私には非常に少ない。数年に1回ぐらいか、もっと少ないかも。わかっていると思えることは、ほんのひと握り。だからこの世は、自分にとってわからないことだらけ。
知っていることと、わかることは全然違う。例えば本を読んだりして何かを知ったとしても、わかったとは思えない。ただ、知っただけ。
たいがいのことは、知っているだけで終わってしまう。でもごくたまに、急に「わかった」と思える瞬間が訪れることがある。
そういうときは、バラバラだった知識が急につながったとき。頭でだけ知っていたことが、実際に見たり体験することをきっかけに統合されて「わかった」と思えることが多いかも。瞬時にそう思えなくても、体験を重ねることで、気づいたら理解していたということもある。
『かわいいドイツに、会いに行く』(清流出版)を書いたとき、これまでにない難しさがあった。それは、私が「わかっている」と思える事柄が少なかったから。
これまで書いてきたのは、ベルリンのインテリアやお店、街のこと。それについては長いこと取材を重ねてきたので、自分の中で確かな感覚がある。
でも今回取り上げたのは、ドイツの伝統的なもの。もちろん取材によって得た知識はあるけど、自分で伝統品を制作しているわけじゃない。だから「わかった」という感覚がなかなか得られなかった。
あと難しかった点は、取材で得た知識と自分の得た印象を、どういうバランスで書くべきかということ。知識だけだと教科書のようで無味乾燥になりそうだし、かといって私の印象だけだと読む人にとって意味ないでしょ。
そんなわけで、書いている間はかなり苦しかった。
でも書いている間に、何かを理解したときに訪れる「あぁっ!」という瞬間もあってね。そうした事柄に関しては、わかりやすく書けたんじゃないかなとも思える。
この本を書くことで、それまでわからなくてほったらかしだった事柄も調べ(ざるを得なかっ)た。無精な私には、ありがたい機会だった。
何かを「わかった」と思える瞬間って、楽しい。モヤモヤと立ちこめていた霧がすぅーっと晴れる感じ。バラバラに散乱していた細切れの知識が、ひとつにつながって腑に落ちる。
「かわいいドイツ」という入り口から、「わかった」と思える瞬間まで少しだけたどり着けたかな。いや、まだまだだろうな。