第1話 1年ぶりのドイツ

2001.11.30 02:15

(このエッセイはメールマガジン「トレンディ★CHICK」に連載されたものです)
 

 フランクフルトの空港に降りる前から、もう嬉しくってドキドキしていた。1年ぶりに、またドイツへ来られたんだ。またみんなに会えるんだ!

 ドイツは私にとって特別な国。ほかの国とは全然違う。小学6年生のときに、1年間だけドイツで暮らしたから。まあ、いってみれば第二の故郷って感じかな(こう書くと、すっごく恥ずかしいかも)。

 去年の夏、急にドイツが恋しくなって、仕事を辞めてケルンで2ヶ月間語学学校に通った。日本に帰国するときは本当にさみしくて、次の年も絶対にドイツに戻って来るんだって決めていた。

 今年はたった2週間の旅行。ふだん一人で旅行するときは、予定なんか立てないで現地で適当に決めたりするけど、今回は友だちや知人の家にお邪魔するので結構きっちりプランニングした。

 まずはフランクフルトから飛行機を乗り継いで、スイスとの国境にあるボーデン湖に面した街、フリードリッヒスハーフェンへ。それからケルン、ヒルデスハイムと北上していって、最後にまたフランクフルトに戻ってそこから日本に帰るというパターン。

 フリードリッヒスハーフェンには、私が子どものころドイツでお世話になったヨリコさんが住んでいる。当時留学生だったヨリコさんも、今はトルコ人のご主人との間に2人の息子さんがいる。ヨリコさんとは去年会ったけど、息子さんたちに会うのは初めて。最初になんていえばいいのかな・・・。それより、何語で話せばいいんだろう。

 フランクフルト空港で降り、入国審査を済ませたら売店などを冷やかし、フリードリッヒスハーフェン行きの飛行機が出るゲートへ向かう。成田で預けた私のバックパックは、フリードリッヒスハーフェンまで運ばれるから身軽でラク。

 ちっちゃなジェットに乗って1時間で到着した。あとは預けていた荷物を取ってゲートを出れば、ヨリコさんが迎えにきてくれているはず!

 しかし、いつまでたっても私の荷物が出てこない。ほかのドイツ人たちはわれ先にと荷物を取って、さっさと出て行ってしまった。ついに私は独りぼっち。何も乗っていないコンベヤーだけが空しくぐるぐる回っているではないか。ドイツに来ていきなりトラブル?! 私のバックパックはどこ?!

 「ヴォー イスト マイン ゲペック?(ワタシノ ニモツ ドコ?)」
 「この飛行機の荷物はこれで全部だよ。出口を出たらカウンターがあるから、そこで探してもらう手続きして」
と、係の人にあっさりいわれ、すごすごとゲートを出たら、
 「ゆきちゃーん、どうしたの、遅かったじゃなーい」
とヨリコさんと息子のアッくんが手を振っている。

 「いや、実は・・・」と荷物の件を説明したら、ヨリコさんがその流暢なドイツ語ですべての手続きを片付けてくれた。さすがドイツ在住二十余年!その数時間後。私のバックパックは無事タクシーでヨリコさんの家に運ばれてきたのだった。

 私のドイツ旅行はこうして幕が開けた。

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第2話 14歳にして5ヶ国語

2001.11.30 02:14

 行方不明になった私のバックパックの捜索手続きに必死になっていて、ヨリコさんといっしょに来ていた息子のアッくんとは、うっかり何も話さないままだった。一通り事が済んで、さあ車に乗って家に行きましょう、というときになって、まだ挨拶もしていないことに気がついた。

 「イッヒ ハイセ ユキ(ユキ ト イイマス)」
 「知ってる」
 返ってきたのは自然な日本語だった。
 
 ヨリコさんは日本人、ご主人はトルコ人、住んでる場所はドイツ。この環境の下、ヨリコさんは息子のタッくんとアッくんを、日本語で育てたのだという。だから、二人とも3ヶ国語がOK。

 学校に通うようになってからは、さすがにドイツ語を使うことが多くなったけれど、以前は3ヶ国語同時に話しかけられたとしても、ドイツ語で話した人にはドイツ語で、日本語には日本語で、トルコ語にはトルコ語できちんと返事をしていたらしい。聖徳太子か!?

 ギムナジウム(大学進学を目指す子たちが行く学校。エリートコースといわれている)に通うお兄さんのタッくんは、学校でさらに英語とフランス語も習ってるから、なんと5ヶ国語がしゃべれることになる。わずか14歳で5ヶ国語を操るとは。私はいまだに母国語しか話せないというのに。ドイツ語はまだまだ初級程度だし、英語なんて、もう全然。

 だからといって二人ともエリート然としているわけではなく、14歳と10歳の普通の男の子。お兄さんのタッくんはおしゃれに気を遣うちょっとクールな男の子で、弟のアッくんは、笑顔がかわいい優しい子。「ゆきちゃん、ゆきちゃん」と私のことを慕ってくれた。

 さて、ドイツの夏は日が長い。夜の9時でも日本の6時ぐらいの感覚かな。だから夕食の時刻もなんとなく日本よりも遅い気がする。

 ドイツ初日の夕食は、新鮮な野菜やハムを好きなだけブレートヒェン(小型パン)にはさんで食べるサンドイッチ。うまいのよ〜、これが! パンも、バターも、チーズも、ハムも、ドイツのほうが絶対にうまい! ドイツ料理自体は、味的にはちょっとどうかなって感じだけれど、こういう食材一つひとつはとてもおいしいのよね。ヘンに料理しないほうが正解!

 それでもって、ブレートヒェンは水平にナイフを入れて二つに切るのがドイツ流。そこにバターやクリームチーズなんかをドババッと塗って食べる。

 食事のときも、私がいるせいか、ご主人以外は基本的にみんな日本語で会話してくれた。でも、ヨリコさんに何か注意されたりすると、息子たちはドイツ語で口答えしたりもする。違う言語が、すごく自然に行き来している。

 いいなあ。私も子どものころ、ちゃんとドイツ語を勉強しとくんだった。そうすれば、今ごろこんな苦労しないですんだのに。

第3話 お役所のゴミ担当者に会う

2001.11.30 02:13

 日本では“ドイツは環境保護意識が高い国”とか“ドイツではペットボトルは売ってない”とか“ドイツではみんな買い物袋を持参している”と、これでもか、というほど、ドイツを賞賛する人が多い。

 そういわれることは、私にとってすごく違和感があった。当時住んでいた街では、ゴミを分別などせずに、すべていっしょにして捨ててたようだし、通りにも紙くずやアルミパックのジュースのカラなんかがポロポロ落ちてたり。

 けして今日本でいわれているようなイメージではなかった。ただ、私がドイツにいたのはもう20年以上も前の話だから、そういう“ドイツ賞賛”を聞く度に「ドイツも変わったなー」と思ってた。

 ところが、昨年ケルンに滞在してみたら、「なーんだ、別に変わってないじゃん」というのが本音だった。確かにゴミはきちんと分別しているけれど、相変わらず紙くずはそれなりに落ちている。歩いて行ける距離なのに、わざわざ車に乗ったりするし、ペットボトルだって、ちゃんと売ってる。

 じゃあ、この“ドイツ賞賛”はいったいどこから来るんだろう? 
 環境先進国といわれている世論と、私の感覚との間の、この大きなギャップはなんなんだろう?

 それが知りたくて、日本を発つ前にドイツ在住歴が長いヨリコさんにドイツの環境問題について教えてほしいとお願いしていたのだ。

 そうはいっても、最初は地域のゴミ回収について教えてもらうとか、その程度の軽い気持ちでいた。ところがヨリコさんは役所にいる友人に頼んで、ゴミ担当者にアポを入れてくれたのだった。

 お役所のゴミ担当者に取材。これは正直ビビッた。
 私は仕事柄インタビューやお店取材などは何度もやっているが、お役所なんてカタい所にはあまり縁がない。しかも環境問題の専門家でもない。

 そんな私がいきなりドイツでお役所の人に取材なんて、いいんだろうか。
 でも、こんな機会はそうないし、ヨリコさんが頼んでくれたからこそできることだ・・・。

 そして向かったのが、ボーデンゼークライスという役所だった。ここフリードリッヒスハーフェンは、バーデン・ヴュルテンベルク州にある街だが、ゴミと交通関係は州ではなく、このボーデンゼークライスという行政区画の管轄になっている。23都市、20万人の住人がいるらしく、ドイツの中では人数的には中ぐらい、土地の面積でいうと小さいほうなのだとか。

 私が緊張していると、担当のペーターさんは笑顔で迎えてくれた。想像していたよりも若い方。しかもチェックのシャツにジーンズと、出で立ちもカジュアルじゃないの。よかった・・・。

 さて、肝心の取材の内容は、次回にということで。

第4話 潜入! ゴミ処理場

2001.11.30 02:13

 ボーデンゼークライスの場合、残飯などの生ゴミ、木の枝や葉などの植物系生ゴミ、シャンプーのボトルのような軽いプラスチック容器やアルミニウム素材のゴミ、ゴムや皮革、オムツ、カーペットといった類の雑多なゴミ、それにガラス(緑、茶色、無色の色別に分ける)、缶、紙類といったように細かくゴミを分別している。なぜなら、きちんと分ければ、それを資源としてリサイクルできるから。

 ペーターさんいわく、生ゴミをこれだけ細かく分別しているのは、ヨーロッパでは他にないそうだ。なぜ生ゴミを残飯系と植物系に分けるかというと、どちらもコンポストにするのだが、植物のほうが良質なものができるかららしい。これはちょっと不思議。感覚的には残飯のほうがよさそうだけど。

 軽いプラスチック容器やアルミチューブは、ゲルベザック(=黄色い袋)と呼ばれる薄い黄色いビニール袋に入れて、回収の日に出す。このゲルベザックには、プラスチック、アルミニウムなどの異素材が一緒に入っているわけだから、その後どうなるのかが疑問だった。もしかしたら、単にそのまま燃やしてるんじゃないの? と疑っていたのだ。

 しかし、まず機械で分別し、最終的には人の手で分けるということだった。そして、リサイクルできるものは業者に引き取ってもらい、最終的に残ったものだけ燃やすそうだ。

 でも、これほど徹底していても、問題がないわけではない。最近では、包装業者が今までよりも薄い包装紙をつくったからということで、商品を包装するのがはやっているらしいし、若者はゴミ問題にあまり興味を示さなくなってきているという。それに核家族化が進んで、商品を少量ずつ売るようになったので、当然空き容器などのゴミも増えている。

 取材の後で、近くにあるゴミの埋立地を見せてもらった。分別したゴミをストックしておく場所と埋立地とに分かれていて、埋立地のほうにはうず高く積まれたゴミの山があった。でも嫌な臭いはナシ。

 埋め立て用のゴミは、圧縮されてカプセルに入れられ、埋められる。以前はカプセルに入れずにそのまま埋められていたらしい。

 驚いたのは、その埋立地のすぐ隣が国立公園だということ。そんなところにゴミなんか埋めちゃっていいのかなと思うけど、今はそれだけきちんと処理しているってことなんだろうな。

 こうして実際に見聞きしてきると、ボーデンゼークライスでは(おそらくドイツのほかの地域でも)、ゴミ処理が非常にシステマチックに行われているなというのが実感だった。

 でもやっぱり、日本の報道の仕方には違和感を覚える。だって、ドイツって列車も車もディーゼル車が相変わらず多いし、どこへ行くにもすぐに車に乗っちゃう。なのに、そういう面はちっとも触れずに、いいところだけをやたらオーバーに褒めちぎっているような気がする。

 日本とドイツは気候も違えば、住宅事情も全然違う。ドイツだからこそできることもあるわけで、それをただ鵜呑みにしてほめたたえている日本の報道の仕方が、私は嫌だったんだ。でもオーバーに報道したほうが、悲しいかな、ウケがいいんだよね。私も編集の仕事をしてきたからよくわかる。

 ドイツの例をそのまま当てはめようとするんじゃなくて、日本は日本で、できる努力をすればいいと思うけどなあ。

第5話 ケルンへ

2001.11.30 01:59

 ケルンに向かう列車は混んでいた。
 フリードリッヒスハーフェンからケルンまでの距離は500キロを超える。ウルムでの乗り換えも含めて6時間もかかった。前の日に座席を予約しておいて、本当によかった。ドイツの列車は日本と違って、指定席と自由席とに車両が分かれておらず、座席指定を入れると、普通の席が次々に指定席として埋まっていくのだ。だから予約がいっぱいになると、空いている席を探して狭い車両を右往左往することになる。

 普段なら座席の予約はあまりしないんだけど、さすがに今回は長時間だし、学校が夏休みに入った州もあったので予約を入れたのだ。

 列車はコンパートメントと開放式の中間タイプだった。2人がけのいすが向かい合っていて、通路をはさんで1人席がふたつ、やはり対面している形式だ。私は2人がけのほうのひとつに腰かけた。

 ドイツ人はお堅いというイメージが定着しているけど、その割には見知らぬ人同士が話している光景をよく見かける。特に年配の人たちがそうで、これからどこへ行くのだの、そこに家族がいるのだの、けっこう話し込んでいる。私の周りの人たちも、ずっと喋りっぱなしだ。

 でも私はそこに入れない。座るときに一応「グーテンターク(コンニチハ)」と挨拶したけど、それだけ。一見して東洋人だとわかる私には向こうも距離を置いているし、私もドイツ人同士の会話にはついていけないもの。今までヨリコさんの家にいたから感じなかったけど、1年ぶりに、忘れていた部外者感覚がよみがえってきた。私はヨリコさんが持たせてくれたおにぎりを食べながら、時間を過ごした。

 ケルンに着いたら、ホームまでリロが迎えに来ているはずだ。
 リロは、去年私がケルンで語学学校に通っていたときにホームステイをしていた家の奥さん。旦那さんのヘルムートと暮らしていて、息子のダニエルは離れのような感じの部屋に住んでいる。

 リロに出会えたのは、私にとって本当に幸せなことだった。
 語学学校からは、受け入れ側の家庭はビジネス感覚だから、その家の子どものようにかわいがってほしいというような期待は抱かないように、と事前に説明されていた。

 なのに、リロはまさしく私を「自分の子どものように」扱ってくれたのだ。だからリロは、私のドイツのお母さん。それも、ちょっと面倒見がよすぎるくらいのね。

 リロはブロンドの髪をいつもきれいに整えて、シックな服を着ている。ドイツ人にしては小柄で、もう今年で59になったというのに、なんと、やせている!これはほとんど奇跡。ドイツ人は結婚するとみんな太るといわれているから。

 ああ、1年ぶりの再会。メールや手紙のやり取りはしてたけど、直接は話してなかったもんな。ホームですぐに会えるかな。あー、緊張する!

 「ユーキー、ユーキー!」
 ふりむくと、向こうから両手を広げてやってくるリロがいた。

第6話 ドイツのわが家

2001.11.30 01:58

 リロに会う前はあんなに緊張していたというのに、会った瞬間にすぐに馴染んじゃうから不思議。まるで、昨日もこうして会っていたみたいに。

 そしてリロが運転する見覚えのあるモスグリーンのローバーに乗って家へ到着。ヘルムートの出迎えを受けて、さっそく庭でコーヒータイム。

 ユキは日本でいま何をしているの? ケルンでの予定は決まっているの?
 リロたちの質問に、できる限りのドイツ語で必死になって答える。とにかく久しぶりで、お互い話したいことがいっぱいだ。

 去年私がここに来たときは、カタコト程度しか話せなかった。本当はもっとつっこんだ話がしたいのに、自分の語彙が足りなくてあきらめたこともある。
 でも今回は、みんなの話していることがだいぶわかる! 1年間、少しずつでも日本で勉強してきた成果が出てるんだ。こうなるとやる気が出てくるってもんだ。

 部屋へ行くと、ドレッサーの上にリロのお母さんの写真が飾られていた。
「オミ(=おばあちゃん)」、彼女のことをリロと私はそう呼んでいた。

 オミは去年の暮れに亡くなった。末期のガンだった。
 私が去年ここにいたときは、既に寝たきりの状態だった。それでもどこか気品を感じさせるところがあって、私はよくオミの部屋で、でたらめ半分のドイツ語を話したりしていたものだ。この家を去るとき、もしかしたらもうオミには会えないのかもしれない、と思ったけど、その通りになってしまった。

 相変わらずリロはシャキシャキしていて、私が部屋でダラダラしている間に夕食の支度をすませてしまっていた。テーブルの上には、できたての「マウルタッシェン」が並んでいる。マウルタッシェンというのは、小麦粉でできた皮でひき肉とかほうれん草を包んだもので、いってみればドイツ風のラビオリって感じ。でも、皮から手作りするのは気が遠くなるほど大変なんで、すでに具が詰まった状態のものが売ってるんだけどね。

 そして最後にはお決まりのデザート。これがねー、問題なのよ。去年はそれこそ毎日、アイスやらケーキやらプリンやらを食べていて、私の体重は未知の領域へ突入するかと思った。1日3回アイスを食べたこともあったっけ。途中からさすがに私も恐ろしくなり、「太っちゃうからもういいよ」といってはいたんだけど、かなり強い調子ですすめられ、結局ぜんぶ食べる・・・っていう繰り返しだったなぁ。

 もちろん今日もアイスが用意されていた。しかもそこに「ローテ・グリュッツェ」というベリー類のソースと、さらにバニラソースもかかっている。

 「そんなにソースをかけたら太っちゃうよ〜」といいつつ、やっぱり全部食べてしまう。
 う〜ん、レッカー(おいしい)!!
 いいんだ、今回ここにいられるのはたったの5日間だけなんだから。

第7話 未来のパン職人たち

2001.11.30 01:58

 早朝5時起床。ねむい〜。
 一般的にドイツの就業時刻は日本より早めだと思うけど、さすがに5時っていうのは普通じゃない。実はこれから、トモヤさんが働いているパン屋さんを訪ねるのだ。

 トモヤさんとは、去年私が通った語学学校、カール・デュイスベルク・センターで知り合った。当時そこにはわりと大勢の日本人がいて、そのほとんどはドイツで職人の資格を取るためのプログラムに参加している人たちだった。まず半年ほど語学学校でドイツ語を学び、その後パン屋やお菓子屋で働きながら職業学校に通って、最終的にゲゼレと呼ばれる職人の資格を取るのが目標だ。そのなかの一人がトモヤさんだった。

 こんな早朝にもかかわらず、リロはちゃんと朝食の準備をしている。私が、朝早いから何もしなくていいよ、といっても朝食を作るのはわかっていた。前もこういうことがあったから。

 しかも、私は自分で市電に乗って行くつもりだったのに、リロが「お店まで車で送るから、そのほうが速いから」といい、結局その通りになった。いっつもこんな感じで、リロにはすべての面倒を見てもらっている。悪いなあ、でも本当にありがたいな。

 「エーレンザッヘ」というトモヤさんが働いているその店は、ケルン郊外にある。朝6時半に着いたのにもかかわらず、作業はすべて終了していた。仕事は夜から始まるので、焼くパンの数が少ないと早朝には終わってしまうのだ。

 作業場に並んでいるのは、粉ひき機とか、パン生地の重さを量るはかりとか、私にとっては珍しいものだらけ。ここのパンは、素材はすべてオーガニックのものを使い、粉も自店でひいている。最近ドイツのパン屋は大手チェーンがのしてきているから、お客はこういうきちんとしたお店を支持してほしいなぁと思う。何よりおいしいんだから。私、ここのパンもらって食べたもの。

 次の日はまた別のパン屋を見学した。今度は、語学学校のクラスメイトだったヤスヨさんが働いている「コルンシュトゥーベ」というパン屋さんだ。

 私が朝8時半に訪ねていったら、ヤスヨさんは仕事の真っ最中だった。いろんな種類のパン生地を、パッパッパッと1個ずつの大きさに切り分けて重さを量っている。マイスターと職人がそれを次々に成型して、オーブンに入れて焼くという見事な連携プレー。目の前に焼きあがったパンがどんどん並んでいく。

 その合間に、ヤスヨさんは粉だらけになった床を掃いたり、次の日の分のパン種を仕込んだりと、息つく間もない。そのムダのない動き、見ていて惚れぼれする。

 トモヤさんもヤスヨさんも、ドイツという異国でがんばってる。きっと言葉とか、習慣の違いとか、大変なことはたくさんあるに違いない。しかもパン屋の仕事は、シフト制で夜勤もバンバンある重労働だ。

 なのに二人とも、いい顔してる。好きな道を選んで、目標を作って、それに向かって努力する。それってちょっとカッコいい。私も日本で仕事をがんばろ、なんてまじめに思ってしまったよ。

第8話 ヒルデスハイムの夜はふけて

2001.11.30 01:57

 ケルンでの5日間はあっという間に過ぎてしまった。「今度はもっと長くいらっしゃい」とリロとヘルムートはいってくれた。別れはさみしいけど大丈夫。きっとまた会えるって思うから。

 次に行くところはヒロコさんがいるヒルデスハイム。ケルンよりも北東にある、私にとっては初めての街だ。

 ヒロコさんも語学学校でのクラスメイトだった。ヒロコさんとヤスヨさん、それに私は、クラスのほかのヨーロッパ人たちが異常な速さでドイツ語をモノにしていくのを横目で見ながら、四苦八苦していたのだった。どうも日本人はヨーロッパ人と比べると上達の度合いが遅いみたいだ。しょうがないのかな、言語体系が全然違うから。

 その後ヒロコさんはお菓子の職人資格を取るべく、ここヒルデスハイムで働いているのだった。初めて来たけど、落ち着いていて、いいところ。しかも街には世界遺産が二つもある。

 今回の旅行では行く先々で人の家にお邪魔してるけど、ここでもまたヒロコさんの好意に甘えきって泊めてもらった。持つべきものは異国の友だ。

 さて、ここでまず私がしたことは、ケーキ作り。ヒロコさんと一緒にブレヒクーヘン(=オーブンの天板に種を流して焼いたケーキ)を焼いたのだ。ではここで、本場ドイツのお菓子職人(に来年なる)ヒロコさん直伝のブレヒクーヘンのレシピを大公開! この欄の最後をご覧あれ! 

 ヒルデスハイムでは、ほかにもお菓子職人を目指して働いている人たちが何人もいる。そこで、夜はみんなそろってレストランで食事をした。ちょうど日本から旅行で来たというパン職人のミヤモトさんも加わって大にぎわい。ちなみに私が注文したのはビールとじゃがいものホイル包み焼き。いかにもドイツって感じでしょ。

 翌日はちょっと早起きして、ヒロコさん、ミヤモトさんとゲッティンゲン郊外にあるパンミュージアムとヴィルヘルム・ブッシュの水車小屋に行った。こんなに正統的な観光は今回初めてかも。

 ヴィルヘルム・ブッシュは、ドイツ人なら絶対に知ってる『マックスとモーリッツ』という、いたずらな男の子二人組のお話を書いた人。ここの水車小屋で彼は少年時代を過ごしたそうで、係の人が実際に水車を動かして見せてくれたのがおもしろかった。

 パンミュージアムは、世界のいろんなパン文化が紹介されていて、パン好きの人にはいいかもしれない。1階にカフェがあって、そこで私はクヴァルクというチーズのサンドイッチを食べた。このクヴァルクが私はすごく気に入ってるんだけど、日本ではほとんど手に入らない。どこか近くで売ってないかなあ。ヨーグルトみたいな口当たりで、おいしいのに。

 夜はヒロコさんの家で手料理をいただいた。ヒロコさんと同じ店で働いているイノハラさん、そして偶然ヒロコさんちの近くのホテルに泊まっていたミヤモトさんもやって来て、ビールやワインを飲みまくる。みんなの仕事柄、パンやチーズの話で盛り上がって、もうとまらない。楽しい、たのしい、ヒルデスハイムの夜だった。

ブレヒクーヘンの作り方
「ブレヒ」とはオーブンの天板のこと。その名の通り、天板にタネを流して焼き、焼きあがったら四角く切り分けて食べるという、素朴なケーキです。

 りんご (紅玉かジョナゴールド)(ドイツならBoskoopかジョナゴールド)
 小麦粉 100グラム
 アーモンド粉 20グラム  
 砂糖 100グラム
 無塩バター 120グラム
 卵  中2個
 レモン汁 大さじ1
 レモンの皮のすりおろし 少々
 ブランデー 小さじ1 
 バニラ 少々  
 シナモン 少々  
 塩 一つまみ
 
1)りんごは1個を6〜8切れにクシ型に切り、皮と芯を取って、皮の付いていたほうに3〜4本の深い切り込みを入れておく。色が変わらないように、塩水につける。
2)ボールに室温に戻した無塩バターと砂糖を入れて、泡だて器で白っぽい空気を含んだポマード状になるまでよく混ぜ合わせる。
3)とき卵汁を少しずつ加えながらさらによく混ぜ、材料表の卵以下の材料を加え混ぜあわせる。
4)小麦粉とアーモンド粉をふるって加え、手早く混ぜて天板(またはケーキ型)に敷き込む(型はバターを塗って粉をふりかけておく)。
5)生地の上に、1)のりんごの切れ目のあるほうを上にして、ぎっしり敷き詰める(花びらのように敷き込んだり、アーモンドスライスを散らしたりしてもいいです)。 
6)180度の予熱の入ったオーブンで30分ほど焼く。焼き上がりにアンズジャムをオレンジキュラソーで延ばしたものを上に塗る。

★ヒロコさんのアドバイス
「材料をすべて室温に戻し、バターと砂糖を混ぜるときに空気をたくさん含ませましょう」

最終回 それぞれが、それぞれの場所で

2001.11.30 01:55

 日本に帰るときが来た。
 早朝、ヒルデスハイムの駅のホームで、私はヒロコさんに見送られて列車に乗り込んだ。

 私は列車に乗って、みんなはホームで。この短い期間の中で、いったい何回こういうシーンを繰り返したことだろう。ふだんはあまり感傷的になったりはしないけど、こうして別れを迎えるたびに、ちょっと、ほんのちょっとだけ、切なくなる。

 2週間って、本当に短い。でも毎日とっても楽しかった。こんなに楽しいことばかり続いたのって、今までなかったくらい。それはやっぱり、ここがドイツだからだろう。

 私がドイツに興味をもったのは、たまたま子どものころにいたからに過ぎない。もしその経験がなかったとしたら、たぶんヨーロッパの中の一国としてしか見ていなかったと思う。でも、こうしてドイツでたくさんの人と出会ったことで、本当に特別な国になった。

 職人めざして働いている友だち。やさしいケルンのホストファミリー。子どものころの私を知っているヨリコさん。それぞれが、それぞれの場所で、今日も暮らしている。たとえ私が日本に帰っても、みんなのことを思っている限り、ドイツは私のそばにある。

 そして、既にまたドイツに来ることを考えている。正直なところ、どうしてこうも毎年来てしまうのか、自分でもわからない。はっきりとした目的があるわけでもなく、ただ「行きたい」という一心でいつも来てしまうのだ。

 きっと近いうちに、またここへ来る。今度は旅行じゃなくて、少し落ち着いて暮らしたい。さ、それまで日本でドイツ語の勉強だ。

 私の旅行は、これで、おしまい。
 今度は、これを読んでいるあなたが、どうか素敵な旅行をしてください。

 今まで読んでいただいて、本当にどうもありがとうございました。
 それではみなさん、お元気で! Alles Gute! (完)

番外編1 ドイツのにおい

2001.11.30 01:53

 今から10年ほど前、一人でドイツに来たことがある。子どものころに住んでいた社宅を10年ぶりに見てみたくって。入口の前まで来てみたらどうしても入りたくなって、頼んで中に入れてもらった。
 その瞬間。
 真っ先に飛び込んできたのは「におい」だった。

 私は建物に足を踏み入れる一秒前まで、そんなにおいがあったことなんて、まったく意識していなかった。でも、いわれてみれば(というか、嗅いでみれば)、確かにそのにおいは当時からあったのだ。そして、においを感じたその瞬間に、10年の年月を一気にタイムスリップして、小学6年生当時の記憶が私の中によみがえってきた。

 すごく不思議な体験だった。においを嗅いで記憶が飛ぶなんて、ちょっと『時をかける少女』みたいじゃない?
 でも、そのにおいの正体が何かは、わからなかった。
 その後、ドイツのスーパーをウロウロしてたら、例のにおいをまた感じ取った。そうか。ようやくわかった。これは肉と乳製品のにおいだったんだ!

 ドイツの主食は、肉。それにパン。パンにはバターやチーズなんかの乳製品がつきものだ。よく「日本は魚のにおいがする」といわれるらしいけど、結局どの国でも、そこの主食のにおいが染み付いているんだなあ。

 私はこのところ、体質改善したいと思って肉を控えているんだけど、ドイツに行ったらやっぱり肉よ! もともと「人は生まれながらにして肉が好き」という、性善説ならぬ"性肉説"を勝手に唱えていたくらいの肉派だもの。だから、ドイツにいて肉を出されたら、おいしく、ありがたくいただいた。

 フリードリッヒスハーフェン滞在中のある日、ヨリコさんの友だちのインゲさんが昼食に招いてくれた。ヨリコさんが、私のためにドイツの一般家庭を見せてくれるよう計らってくれたのだ。
 食事に招待といっても、親しい友人同士だし、肩肘張らない雰囲気。まずはインゲさんの息子さんが家の中を一通り案内してくれた後、インゲさんとご主人、それに子どもたちみんなが席について食事。テーブルには焼いたばかりの鶏の胸肉と、大きなサラダボウルが3つ並んでいた。
 お肉はハーブといっしょに焼いてあって、そのさわやかな香りが食欲をそそる。サラダはコールスロー、マカロニのトマトソース和え、それにキドニービーンズのマヨネーズドレッシング和えの3つ。みんながそれぞれ好きなだけ取り分けて、最近あったこととか家族の話をしながら、楽しいひとときを過ごした。

 こうして一日、一日、肉を食べ、パンにバターを塗り、においは体に、土地に、染み込んでいく。もしも私がこのままドイツにいて、こういう食生活を続けたとしたら、言葉ができるようになる前にまず、私のにおいがドイツ人になっていくだろう。

番外編2 最後の最後も日本語で

2001.11.30 01:52

 成田への帰国便は、フランクフルトの空港から午後2時の出発だった。
 私はかなり早めに空港に着いていた。万が一飛行機がオーバーブッキングにならないとも限らないし、格安チケットだから立場が弱い。とにかくさっさとチェックインするのに越したことはないからだ。

 待っている間、私は今回の旅行のことを忘れないようにとメモをとっていた。するとどこからか、なんとなく視線が・・・。はっと顔を上げると一人の白人男性が目の前に立っていた。

 「日本に行くんですか」
 その男性は日本語で話しかけてきた。よくよく話を聞くと、彼はフランス在住のオランダ人で、これから日本に旅行に行くという。フランスの大学で数学の研究をしているらしく、日本人の知り合いがいるそうだ。彼の日本語はペラペラとまではいかないけれど、とてもきちんとしていて、私と会話するには十分だった。

 どのくらい日本語を勉強しているんですか、と聞くと、なんと「1年ぐらい」という返事。それって、私のドイツ語歴とほとんど同じ。なのにどうしてそんなに喋れるの?
 日本人が英語やドイツ語を学ぶのは、文法や発音が違いすぎて難しい。でも、逆に欧米人が日本語を学ぶのだって難しいはずなのに。

 結局は努力の問題なのかなーと思いつつ、フライトまでの時間を一緒にお茶をして過ごした。会話はもちろん、日本語で。

 今回の旅行の幕開けはヨリコさんの家だったから日本語で話したし、ドイツを発つ最後の最後も偶然日本語。ドイツにいたくせに、日本語を話している時間のほうが圧倒的に長かったなあ。