博物館の長い夜

2003.08.31 19:21

 ベルリンには年に2回、博物館・美術館が深夜まで開いているイベントがある。"Lange Nacht der Museen"、「博物館の長い夜」だ。2月に1回と、そしてもう1回がきのう30日の土曜日。
 2月のときは、ただでさえクソ寒いのに深夜にわざわざ博物館めぐりなんかしてられるかと思って行かなかったけど、今回は季節も(かろうじて)まだいいし、せっかくだから参加してみることにした。
 市内にある100以上の博物館・美術館が、12オイロ(学割は8オイロね)のチケット1枚で夕方6時から深夜2時まで自由に出入りできるほか、専用のバスも頻繁に走っているし、入口でコンサートなんかもやっている。この機会に、普段ならまず行かなさそうなエリアにも足を伸ばしてみたりして、なんかうきうき。
 このイベントはベルリンが発祥の地らしく、今ではドイツ国内やパリ、アムステルダムなど約120の街に広がったらしい。ちなみに友人は「ハレ(ドイツの一都市)ではタダなんだけどねえ」と言っていた。でもまあ、ベルリンは街の規模が違うからね。
 もちろん、ドイツのイベントとくれば必ず出現する屋台もあちこちにあるから、この長い夜もひもじい思いをしなくて大丈夫。これ、重要。特に私には。

▲トップへ戻る

ドイツに来て1年かー

2003.08.28 23:28

 今日8月28日でドイツに来て丸1年。長いんだか短いんだかわからないけど、来た当時のことを思い出すと、もう遠い昔のことのよう。
 一応ドイツ語の勉強を主目的に来たものの、最近ちょっと意図的に道をはずれていた。はずれるのは楽しい。でもそのためにはやっぱりドイツ語が必要なわけで、ここらへんで本筋に戻って、また勉強します。

心は高円寺

2003.08.27 17:35

 毎年8月26・27・28日は高円寺阿波踊りだ。ベルリンにいたって私は見るぞ。心強い私の”高円寺阿波踊り同志”が、リアルタイムで画像を送ってくれている。ああ、しのぶ連が、花菱連が……。葵新連のおじいちゃんは今年も元気だろうか。心はすっかり高円寺へとトリップしている。あいにくお天気がいまいちみたいだけど、そんなもんは踊り手と観客の熱気でぶっとばす。
 そういえばちょうど1年前、私はこの高円寺阿波踊りを見た翌朝、ドイツへと旅立ったんだっけ。ということは、ドイツに来て1年を迎えるのね。むー。

怒涛の8日間

2003.08.23 23:44

 ようやくいつもどおりの生活が戻ってきた。おとといまでの8日間は、今まで経験したことのない嵐のような日々だった。これまで「にっちもさっちもいかない状態」とか、「一種の観光旅行」、などとあいまいな書き方をしていたけれど、実は日本のテレビドラマのベルリンロケにスタッフとして参加していたのだ。

 同じマスコミ業界とはいえ、私がいる出版界とテレビ界とでは仕事の規模がまったく違う。日本から来た数十名のスタッフ、俳優、そして現地のスタッフ……すべて合わせると40名を下らない。
 それぞれが自分の持ち場を全うして一つひとつのシーンを撮り重ねていく。その様は、まさにチームワークだ。いつも一人で黙々と机に向かって作業をしている編集の仕事とは正反対といってもいい。

 自分にはまったく経験のないテレビの現場は、もの珍しいことばかり。いつも見ているドラマはこんな風に作られているんだ、と素人丸出しの好奇心でカメラの画像に見入っていた。
 台本上ではひとつのつながったストーリーが、撮影時ではシーンごとに細かく分けられて撮られていく。今まで怒っていた演技をしていたのに、次のシーンでは笑わなくてはいけない。でも俳優は当たり前のように、シーンに合わせて演技を切り替える。それは時に淡々と見えるけれども、テレビの演技というのはそういものなのだろう。
 スタッフの動きもすばやい。はいOK、という監督の声が響くとともに、カメラ、音声、照明、小道具などのスタッフが次のシーンへ向けてササッと準備を進めていく。その動きに迷いがない。ここにいる全員がプロなのだ、と思う。

 私はスタッフやエキストラの雑多なお世話をした。ベルリンに住んでいて、多少でもドイツ語が話せることで、人の力になることができてよかった。そして、撮影を通していろんな人と知り合え、未知の世界に触れられてうれしかった。最近怠けていたドイツ語の勉強だけど、やっぱりもうちょっとがんばってみようかな。

 ドラマの一行は海外ロケ終了後、日本でも引き続き撮影を行うという。そして、すべてを撮り終えたらこのチームは解散だ。スタッフはすべて別々の会社から集まっている。撮影が終わればお互い顔を合わせることはない。
 さびしくないんですか、と聞いたら「また次の番組があるから」という答えが返ってきた。なんだか旅の一座みたい、なんてちょっと感傷的な気分になっているのはきっと私だけなんだろう。プロの皆にはそれが当たり前なのだから。

 ベルリンに来て以来、日本にいた頃には考えられなかったいろんな経験をしている。そのたびに自分の中で手ごたえを感じていく。この先はいったい何が起きるのだろう。ちょっと不安で、楽しみで。

一種の市内観光ということで

2003.08.17 23:27

 前回お伝えしたにっちもさっちもいかない状態ですが、具体的に何をしているかといえば、結局はベルリン市内のあちこちを早朝から夜中まで訪れるってことなんですが。観光といえばいえなくもないけど、それにしては行動時間が長すぎですね。明日は午前3時半起き。できるのか? いや、できないと困るけど。

にっちもさっちも

2003.08.15 23:58

 ちょっとどうにもならなさそうな状況にこの先1週間ほど追い込まれるので、その間更新ができるかどうか。でもちょっとでも書けるようにしたいと思います。実はもうその状況に入り込んでいるんですが。これまでにない体験なので、自分の中でもしっちゃかめっちゃかです。こんな書き方、ちょっと思わせぶりかしら。ふふ。

自分じゃ言えないドイツ語

2003.08.12 23:51

 知ってるんだけど性格的にどうしても使えないドイツ語というのがある。
 例えば何か頼んだときに答えとして返ってくる"Warum nicht(ヴァルム ニヒト)?"というもの。warumは「なぜ」、nichtは「〜ない」という否定形。これが組み合わさって「いいですよ」「いいに決まってるじゃない」という、要するにOKの返事なのだが、OKならOKと素直に言えばいいじゃんか、と思ってしまう。ただでさえこっちはNOと言えない日本人なんだから、肯定の返事をするのにnichtという否定形を使うのにどうしても抵抗がある。自分じゃ言えない。
 それから"weisst du(ヴァイスト ドゥ)"。これは特にたいした意味はなくて、まあ話のテンポ作りってところだと思うけど、これも言えない。
 それから"hey(ヘイ)"。「ヘイ ユキ」とか言われる。言われるのはいいけど自分が言うのは恥ずかしい。ムリ。"hi(ハイ)"ならまだいいんだけどね。
 もしこんな言葉を使うようになったら、日本人のメンタリティが薄まってきたってことだな。私の場合。

秋の気配におびえる日々

2003.08.08 23:58

 ベルリンは毎日暑くて、バスに乗ったりするとムワッとした空気が肌にまとわりつく。もちろん日本の比ではないけれど、暑いものは暑い。テレビやラジオではしきりに暑さの話題が上っている。日本人の私は「こんなのへっちゃらだもんね」という感じで涼しい顔で過ごすつもりだったが、最近顔がへばり気味。
 でも確実に日は短くなっている。夜の9時半ごろに真っ暗になっていると、これからどんどん短くなる一方なんだなと思う。なんだか人生の後半戦にさしかかるような気がして好きじゃない。
 去年の秋は急に寒くなった。今年はどうなんだろう。冬は寒いものと覚悟を決めているからいいけど、秋は不安定でいや。
 そういえばなんとなく青空の色もどこか秋っぽい。夏もあとわずかかな。

別れ

2003.08.05 13:50

 同居人の日本人男性が日本に帰った。偶然にも同じ日に、もう一人の同居人のドイツ人女性もバカンスで南へと旅立って、私ひとりが残された形になった。
 空港へ見送りに行ったあと、家へ帰っても誰もいない。がらんとした部屋を見ていると、彼がこの部屋に戻ってくることはもうないのだと感じる。喪失感が広がる。

 ベルリンにいると、出会いと別れのサイクルが速い。せっかく知り合っても、ちょっと連絡を取らないうちに疎遠になってしまう人もいるし、日本人の知り合いは日本へ帰っていく。別れを経験するたびに、ここが終の住処でないことを知らしめされる。
 それでもいろんな人と知り合いたいし、人との出会いを通して自分の世界を広げたい。

 いつかは自分も帰るときがくる。そのとき、ベルリンで自分の世界を築いたと言えるだろうか。そして誰かが私との別れをさびしいと思ってくれるだろうか。

暗闇グリル

2003.08.02 23:32

 同居人が日本に帰ることになり、さよならパーティをした。最初は家でやろうと思っていたのだけど、友人宅の中庭を使えることになり、グリルパーティに変更。これって大人数が集まっても大丈夫だから、とっても実践的。
 早めのスタートにしたものの、時間きっちりに来る人なんてほとんどいない。だいたい2時間ぐらい経ってから、みんなわさわさと集まりだすものだ。
 その頃にはもう日も暮れて、あたりは真っ暗。人の顔も見えやしない。闇鍋ならぬ闇グリル。でもドイツ人って、暗いの平気なのよね。真っ暗ななか、明け方まで延々と続いたのだった。