情緒に訴えるな

2003.03.29 23:26

 きのうニュースを見ていたら戦争関連の報道をしていた。それを見ていたらだんだん腹が立ってきて、思わず書きはじめてしまった。
 戦争の被害を伝える画面のバックに流れる、悲壮な音楽。「きのうまで生きていた子どもたちは今日はもういない」的な情緒に訴えるコメント。
 違うんだよ。
 戦争になれば人は死ぬ。子どもだろうが誰だろうが死ぬ。そんなのはみんな知っているはず。だけど実際に戦争は起こる。そこには戦争の悲惨さとは別の要因があるからでしょ。そこを解説せずに、ただ情緒に訴えるだけでどうなる? 
 なぜフセインが悪いとアメリカはいうのか、なぜ自国民を犠牲にしてまでアメリカは戦争をするのか。いま私が見ていたような大衆的なニュース番組こそ、基本的なことを解説しなければ。情緒のみによって支えられた意見というのは、いとも簡単に逆の方向にいくことだってできるのだ。きのうまで戦争に反対だった人が、別の情緒的刺激によって、突然戦争を支持することだってありうるのだ。

 戦争は悲惨だけど、別の側面から見れば戦争によってもたらされるものがある。なぜ戦争は起こるのか、そして戦争反対ならば、どうすれば回避できるのかを考えないと。

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庶民というもの

2003.03.28 23:47

 戦争がはじまって、自分なりに、まあいろいろ考えたりする。
 で、その5分後には「お昼ごはん、なに食べようかな〜」などと考えていたりする。
 戦争とお昼ごはんを同レベルで考えられるところが、実際に戦争が行われていない国の庶民というものだ。

個人の意思にかかわりなく

2003.03.26 11:13

 ベルリンの語学学校でアメリカ人の女の子と知り合いになった。開戦ムードが漂う3月中旬、彼女が家に遊びに来た。
 ベルリンではトルコ人が非常に多く住んでいる地域がある。ここはトルコだっけ、と錯覚するほどのところだ。
 彼女がそこを歩いていたら、アメリカは戦争をするのか、と何回も議論をふっかけられたという。というより、実際にはいきなりいちゃもんをつけられた、という感じかもしれない。「私はアメリカ人だけど、私が戦争するかを決められるわけじゃないし、そんなことをいわれても……」と彼女は困惑していた。
 彼女としては戦争に反対。でもアメリカ人というだけで、外国では肩身が狭い。
個人の意思にかかわりなく、戦争ははじまってしまう。

戦争がはじまった

2003.03.22 23:56

 帰国のその日、戦争がはじまった。
 これまでベルリンでの反戦デモを含めて、戦争について書いたことはなかった。私には、書けなかった。自分の中できちんと説明もできないのに、人に対してどうして書ける? 書いたところでいったいどうなる? いくらデモをしてみたところで、はじまるものははじまってしまうではないか。そんな思いがあって、これまでどうしても書くことができなかった。そして戦争ははじまってしまった。

 自分が死ぬのは怖い。
 愛している人が死ぬのはいや。
 ごくシンプルな感情ではないだろうか。たとえ日本人としての尊厳が失われても、私は戦いたくはない。
 愛する人が殺されたとしても?
 今の時点ではたぶん、としかいいようがない。でも、たぶん、それでも、私は戦争に反対だ。

期間限定ベルリン脱出

2003.03.19 00:17

 ベルリンが嫌になったわけでは全然なく、ちょっと訳あって日本に帰ります。でも2週間限定。ということで、次回からしばらくは東京日記。

ホテルかいな

2003.03.18 23:54

 なんか最近、わが家はお客さんブーム。誰かの友人が来て泊まってったかと思えば、翌日にはまた別の人が泊まってる。家に帰ってきたら、いきなりバスルームから知らない人がタオル一枚で出てきたときには驚いたが。「きみ、だれ」って、あんたこそだれ!!
 まあ、にぎやかでいいけどね。いろんな人と話すのは楽しいし、ドイツ語会話の練習にもなるし。
 こんなこともドイツの広い住宅事情があってこそ。日本じゃ、とてもじゃないけど無理よねえ。日本の私の自宅にはほかの人が横になるスペースなんて、ないわよ。

地下鉄の馴染み顔

2003.03.14 23:58

 前にこのコーナーで地下鉄内の物乞いの話を書いたけど、私が使っている路線にはしょっちゅう出くわす馴染みの物乞いがいるのである。ドアが開いて“彼女”が乗ってくると「ああ、また遭っちゃった」と、なんかいや〜な気分になる。“彼女”はこの路線でしか見かけない。できればお目にかかりたくないのだが。
 あと、朝っぱらから車両内で楽器を演奏する人。たまにやってくる。お願いだから、朝はやめてくれ。

再び日常へ

2003.03.11 23:09

 「ドイツでの故郷」、ケルンを離れて、再びベルリンに戻ってきました。またいつもどおりの毎日です。ま、大したことはしてないんですけどね。
 ベルリンに帰ってきて思ったのは、「閉塞感、圧迫感のある町並みだなあ」ということ。ケルンは駅のすぐ脇をライン河が流れているせいもあって、とても開放的な印象なんです。でもベルリンは通りの両側に建物がびっしり。空が一面に見えるような場所は、私の行動範囲にはあんまりないんです(ちょっと郊外に出れば湖があったりします)。
 でもケルンだって町の中心は建物が立ち並んでいることに変わりはありません。じゃあなんでこんなに印象が違うのか。ちょっと考えてみました。
 その1.ベルリンの建物のほうがケルンよりも単純に高さがある
 その2.ベルリンのほうが古い建物が多い。古いと壁にデコラティブな装飾が施さ
      れていて、それが圧迫感をもたらす
 その3.ベルリンは壁の落書きだらけ。嫌いじゃないけど、ときどき気分がすさむ
 その4.町の規模がベルリンのほうが圧倒的に大きい

 こんなところでしょうか。ただ、ベルリンのほうが暮らす上での楽しみみたいのはやっぱり多いと思います。日本でいうと東京みたいな存在なんでしょうか。

逆方向でもOKなのか

2003.03.07 08:50

(この日から読んでいる方へ。実はケルンに行っていて、その間更新できなかったので、3回分まとめてアップしています。最初は「再会」のページなので、そこから読んでいただければ幸いです)

 ベルリン‐ケルン間は安い飛行機もたくさん出ています。ただ早い時期に予約しないと結局高くついてしまうので、今回は列車で行きました。
 かなり長距離なので座席を予約したのですが、これが進行方向と逆向きの席。ヨーロッパ大陸走り抜けるをICE(インターシティエクスプレス)はコンパートメントではなく開放車になっていて、車両の真ん中から座席が進行方向とは逆向きにセットされています。日本の新幹線みたいに座席がぐるりと回転するわけでもないようだし、逆向き座りがだめな人はいないんでしょうか。私は問題ないからまあいいんですけど。それとも予約時に指定できたりするんでしょうか、わかりません。誰かに聞いてみようかな。

カーニバル最高潮

2003.03.07 08:48

 今日3月3日の月曜日はRosenmontag(ローゼンモンターク)といって、カーニバルがいちばん盛り上がる日。合言葉はKoelle Alaaf!
 カーニバルはライン河沿いの街で開かれて、なかでもケルンが有名。ドイツ国内の大半の街ではやっていなくて、ベルリンにもありません。なので、各地から観光客がやってくるというわけです。

 さて、きのう「明日はカーニバルを見に行くの」と話していたら、「どんな格好をするの」と聞かれました。えっ、私は観光客なんだからただ見るだけ、仮装なんかしないよ、と答えたら「だめだめ、それじゃあ。カーニバルに行くんなら仮装しなくっちゃ」といわれて、私も円錐形の帽子にメイクといういでたちでカーニバルを見物することに。
 カーニバルは、決められたコースを鼓笛隊や山車が練り歩くというもの。40以上のグループがハリボテで飾った山車を走らせます。ハリボテのネタは政治の風刺が多くて(意味が全部わかれば)楽しい。
 そして、パレードをしている人々が道ゆく人にお菓子をバラバラと投げるんですね。それをみんなが争ってキャッチ。観客はしきりに”Koelle Alaaf”と叫んでお菓子を投げてくれるようアピールします。その絵はちょっと日本の節分に似ているかもしれません。
 このお菓子を取るのが侮れない。子どもたちが列の前にスタンバッてお菓子をねだるのはわかるとしても、大人だってかなりマジ。道に転がったお菓子をえらい勢いで拾うおばちゃんは怖いくらい。日本人なら間違いなく引いてしまいます。
 結局ほとんどすべてのパレードを見ること3時間以上。その間ずっと路上に立ちっぱなしで疲れました。でも途中で帰る人がいないのがすごい。やっぱり体力が違うのかしら。

再会

2003.03.07 08:47

 突然ですが、いまケルンにいます。
 ケルンは私が2000年6月から2ヵ月間過ごした街。ケルンに来るということは、私にとって当時のホストファミリーに会うということでもあります。
 ドイツに来るたびいつもここに来ていて、今回でもう5回目。もうすっかり家族のような気分です。息子のダニエルは相変わらず親友オリバーとなかよしだし、ご近所のミュラーさんちの子どもたちは育ち盛りだから見るたびに大きくなって……。あらあ、すっかり大人になっちゃって、なんて巷のおばちゃん状態全開です。
 いつ来ても変わらない日常がここにあるという安心感。それに触れられるうれしさ。ケルンにいた期間のほうがベルリンよりもずっと短いのに、私の中のドイツといえばやっぱりケルンです。
 ベルリンではいろんな人と知り合ってはいても、なぜだかさびしい気持ちがなくならない。でもケルンは私の「家族」がいるから、あたたかい気分になれる。だからといって、ずっとここで暮らしたいかといえば、そうでもない。やっぱりベルリンに帰ろうと思います。故郷を持つということは、ひょっとしてこういう気分なんでしょうか。

 さて、なんで私がいまケルンにいるのか。それはカーニバルがあるからなんですね。ドイツでカーニバルといえばケルンです。その様子は次回。