しあわせ人生・しあわせ自分軸の最近のブログ記事

将来について悩んだら

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家でぼーっとしてるときにふと「ここの生活が好きだな」と思ったりします

 以前私がこのクボマガで「しあわせ人生」シリーズを書いたせいなのかわかりませんが、将来の進路について悩んでいる人から相談メールをいただくことがあります。
 最近はベルリンのカフェガイドを始めたことで、よりその機会が増えました。

 みんな、将来について悩み、迷っているんだと感じます。
 私自身は、毎日をただ必死に生きているだけで、誰かのお手本になるような存在ではないです。でも、しあわせだなと思っています。

 私がベルリンに住んでいるのは、日本にいたらダメになるという危機感があったからです。出版社で編集の仕事をしていた当時は、毎日ストレスを感じていて、「私の人生って何なんだろう」と思っていました。
 それからベルリンに飛ぶまでの経緯は「しあわせ人生」シリーズ第1回に当たる「私がベルリンに来た理由」をご覧ください。

 ベルリンに来た当初は、とても心細かったです。知り合いもいなく、頼れる人がいない。ドイツ語も、思っていたほどわからない。もちろん、仕事もありませんでした。

 先のことがまったくわからないのに、しかももうとっくに30代に突入していたというのに、仕事を辞めてベルリンに何のあてもなく来るなんて、他の人から見たら何てバカなんだと思われたでしょうね。

 でも、ベルリンに来てから私は「自分の人生を生きている」と思っています。それまで知らなかった世界を見て、多くの人と知り合えました。もしそのまま日本にいたら、こうした経験は得られませんでした。
 だから、ベルリンに来て本当によかったと思っています。余裕はないですが、しあわせだと思って生きています。後悔はありません。

 お勤めを辞めろと、勧めているのではありませんよ。
 毎月お給料をもらえる会社というシステムは、素晴らしいと思います。お金は生活する上での基本です。必要以上の大金はいりませんが、一定額がないと生きていけません。

 でももし、毎日がとてもつらくて、その原因が働くことにあるのなら、逃げてもいいと思います。海外に行くのも、その一つだと思います。それをきっかけに、新たな道が拓けるかもしれません。
 一つの道を止めることは、新たな可能性の始まりでもあります。

 30歳前後なら、まだまだ先は長いです。いろいろな場所で得た多様な経験が自然と結びついて、いつか大きな力になります。本当に、無駄な経験などないと思います。

 みなさんからご相談のメールをいただいて、いつも書けるお返事はこんなことぐらいです。それでももし助けになるのでしたら、うれしいです。

しあわせ自分軸

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ベルリンの家では、窓を開けると小鳥のさえずりが聞こえる

「しあわせ人生」シリーズ。これ、けっこう反響をいただいています。同じ思いの人がたくさんいるんだなと思いました。
「しあわせ人生」シリーズ1回目はこちら
2回目はこちら

 今回は、しあわせかどうかは自分で感じるもの、という話。

 たまたま先日乗った電車(現在一時帰国中で東京にいます)で、広告にこんなコピーが使われていた。
"「お隣はご夫婦でニューヨーク。
田舎の姉さんは女友達とパリ。
今さらありきたりの外国には行けない」と妻が言う。"

 はぁっ? と思ったね、これを見たとき。
 旅行は、自分の行きたいところに行くから楽しいんじゃないの? お隣さんがどこに行こうが、そんなこと自分には関係ないじゃない? 旅行って、他人にすごいと思われたいためにするもんなのか?

 この感覚は、「勝ち組、負け組」という言葉に通じるところがあるのかもしれない。
 私はこの言葉、日本にいたときから全然ピンと来ないんだけど、気にしている人は結構多いんだろうね。だからこそ、この言葉がこれだけ広まったんだろうし。

 でも、一体何を指して勝ち負けなんだろう。収入の多さ? 人からうらやまれるかどうか?
 まあ、収入はいいに越したことはないだろうけどさ、私の知る限り、人より収入が多い人は労力もストレスも人一倍ある。
 いくら人からうらやましがられたって、自分が毎日つらければ、それってちっともしあわせじゃないでしょ。

 そもそも、いいとされる基準なんて、時代によって簡単に変わる。
 例えば、80年代頃はキャリアウーマンなんて言葉がもてはやされた。その後はDINKSなんて言葉も出てきた。そして、女性が今あこがれているのは専業主婦だとも聞く。
 もちろん、人の価値観は時代や地域に大きく左右されるものだけど、周囲に流されているだけじゃ、時代と共にコロコロ変わって大変。

 私は、日本では会社員時代が長かったので、毎月ちゃんとお給料をもらえて、生活は安定していた。でも毎日しんどかった。楽しくなかった。

 今は仕事は不安定だわ、生活はカツカツだわで、他人から見たら全然しあわせじゃないはず。
 でも人がどう思おうと、私は今の方がずっとしあわせを感じられる。好きなことを仕事にできて、それで何とか生きているし、家族も元気。この環境がありがたいと思う。
 いつからそう感じられるようになったかといえば、ひとつはフリーになってから。そして大きな節目は、ベルリンに来てからだと思う。

 ベルリンにいると、暮らしがとてもシンプルだから、ちょっとしたことでもしあわせを感じられるようになった。
 春になってしあわせ。
 小鳥がさえずるようになってしあわせ。
 夕暮れ時にビールを飲んでしあわせ。
 みんなで料理を作ってしあわせ。
 そういうふうに思えるようになると、なんかこう、毎日をすごくいい感じで過ごせるようになったの、本当に。

 しあわせは自分軸で。そうできたら、すごく楽になると思うし、日本全体が楽になるような気がするな。自分の人生を生きようよ。

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2003年頃のベルリン。ルーズな感じがたまらなく好きだった

 自分がベルリンに来た理由と、幸せな人生とは何ぞやという壮大なテーマを考えて書き始めた「しあわせ人生」シリーズ(今この瞬間に命名した)。
 前回(こちらをクリック)は、ストレスが重なって「日本にいたらダメになる」と決意し、ベルリンに飛んだところまで。

 不安を抱えながら、それでも日本を離れたくてやって来たベルリン。来たばかりの頃は知っている人が誰もいなくて、どうしようもなく所在ない感覚に襲われた。自分の居場所もなかった。
 もしかして、日本でも上京したての人というのは、こんな気持ちなのだろうか。東京に生まれ育った自分には、いわばこれが初めての上京だったのかもしれない。

 でも、そんな思いも知らぬ間に消えていた。いったん誰かと知り合うと、そこから次々と別の人につながっていく。それが楽しかった。

 ベルリンにはいろんな人がいた。ベルリンは、私が知っているドイツとは違った。
 街全体がのんきで、気楽で、小汚かった。誰もが自分をアーティストと名乗り、その実、どうやって食べているのかわからない人たちが多かった。
 
 ベルリンで知り合った日本人も、日本での友人たちとはまったく違うタイプの人が多かった。とにかく、みんなの経歴がいろいろ。
 私は日本で、附属高校から大学へそのまま持ち上がって入学したから、友人たちの生活環境は自分と似たり寄ったりだった。でもここでは、全然違う環境で生きてきた人たちがいた。

 ま、一言でいえば、世界が広がったんだよ。
 ベルリンで出会った人たちとは、もし私がずっと日本にいたら絶対に知り合うことはなかったと思う。日本でリンクすることのない世界が、ベルリンでつながった。

 互いの家を行き来して、一緒にご飯を作ったり、飲んだりする。どこかへ飲みに行くときは、お金がないから2ユーロで飲めるビールだけ。お金はないけど時間だけはたっぷりあった。
 そうやって、いろんな人とたくさん話をするうちに、自分も少しずつ変わっていったんだと思う。

 だからね、もし日本で自分の環境に嫌気がさしていたり、自分の居場所がないと思ったら、我慢してないで、ちょっとバイトしてお金ためて、外に出てみたらいいと思う。まったく違う世界があったりするから。

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あるとき、決意して飛んだんだよね。そうしなきゃいられなかったの


 たまたま最近、自分がベルリンに来た理由や、幸せな人生とは何ぞやみたいな話をすることが続いた。
 私がベルリンに来たわけは、以前のクボマガには書いていたんだけど、昨年のリニューアルを機に削除してしまったので、この機会にもう一度まとめてみることにした。自分のためにね。

 私がベルリンに住み始めたのは2002年。その発端となったのは、ケルンに2ヵ月間滞在した2000年。
 それまで私は、出版社をいくつか移りながら編集の仕事をしていた。雑誌編集、書籍編集、雑誌記者として取材・撮影......この当時の仕事が、今につながっている。

 仕事は好きだったけど、精神的にも時間的にも追われて、常にストレスを感じていた。とにかく朝起きた瞬間から機嫌が悪い。ターミナル駅の人混みにイライラする。毎日を楽しいと感じられなかった。

 ある日、出社途中の新宿駅で人とぶつかった。朝のラッシュ時なら(といっても、私は10時出社だったので、ピークはとっくに過ぎていたけど)、よくあること。「すみません」の一言でも交わし合えば、それで済むこと。
 でも当時の私はいつもイライラしていたもんだから、その瞬間に殺意が芽生えて、思わずガンを飛ばしてしまったんだよね。

 直後に「まずい」と思った。「このままここにいたら自分はダメになる」と。

 それまでも、「たまたま日本に生まれたからって、なんでこんなに長時間働かなきゃいけないんだろう」「私の人生って何なんだろう」ってよく考えてたけど、この"新宿駅でのガン飛ばし事件"が、日本を脱出するひとつのきっかけとなった。

 それ以来、とにかく日本を出なきゃダメだと考えるようになった。そこによみがえったのが、子ども時代に過ごした西ドイツでの記憶。

 私は小学校6年生の1年間を、当時の西ドイツで過ごした。その町には日本人学校がなかったから、普通の現地校に入れられた。
 ドイツ語も英語もまったくわからない。でもドイツでの滞在は1年間だけと最初から決まっていたから、親も私も気にせずに、意味不明のドイツ語に囲まれながら1年を過ごした(話が脱線するけど、今私が中国人に囲まれたアウェーの環境の中で中国ダンスを習っていて平気なのは、子どもの頃に鍛えられているからかもしれない)。

 学校にアジア人は私一人。当時は、今よりももっとアジア人が珍しかったと思うし、アジアに対する知識も少なかったと思う。しかも、そのアジア人はドイツ語が全くわからないときてる。共通言語が何もない。
 でも、誰も私のことをいじめなかったんだよ。みんな気にかけてくれたし、仲のいい友だちもいた。言葉ができなくても、子ども同士ならコミュニケーションもそれなりに図れるものなんだよね。
 
 そんな感じで終わった1年間の西ドイツ滞在。そして、確か99年にその当時の滞在に関する催しがあって、家族で再びその町を訪れた。
 その時に思い出したんだ、西ドイツでの日々。子ども心に、ドイツって住みやすいなあと感じていた。

 そこへ起きたのが、最初に書いた"新宿駅ガン飛ばし事件"。日本を出るなら、行き先はドイツしかない。ドイツは私にとって、外国ではなかった。言ってみれば第二の故郷。よく知った場所。

 そして2000年にケルンに飛んだ。ケルンに決めたのは、子ども時代に住んでいた町(ちなみにデュッセルドルフじゃありません)に近かったから。
 ただしその時は、まだドイツで滞在許可を取ってちゃんと暮らすだけの決心はつかなかった。

 でも2ヵ月の滞在+1ヵ月のドイツ旅行を終えて日本に帰ってきたときの、中途半端な気分といったら。
 今度はちゃんと一定期間ドイツで暮らそうという決意は、このときになんとなく生まれたと思う。

 ケルン行きを口実に、当時いた出版社を辞めたので、私は自動的にフリーになった。そうしたら、仕事をいただけるありがたみがわかるようになった。感謝の気持ちが生まれた。でもこの話はまた違うテーマになるので、またいつか。

 今度ドイツに行くときは、もっとちゃんと暮らそうと、フリーで仕事をしてお金を貯めた。そして2002年にベルリンに来た。
 行き先をベルリンにしたのは、それまで何回か旅行して肌に合う気がしたのと、ベルリンならライターとして日本の出版社に何か書けるかもしれないなと思ったから。今の状況を見ると、それは合ってたと言ってよさそう。

 もっとも、ベルリンでの滞在は1年ぐらいのつもりだった。1年間リフレッシュして、また日本へ帰るつもりだった。
 それがどうよ、今年は2012年。あれから10年が経つわけだ。
 
 この話、勝手に次回へ続けます。

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