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海上を走って島へ


(*ベルリンのお店やライフスタイルに関しては、在ベルリンガイドの松永さんとの共同ベルリン情報ブログ「おさんぽベルリン」をぜひご覧ください。バリバリ書いてます)


この内容は前回から続いています→ドイツ最北端の島Sylt(ズュルト)へ・計画編


■ベルリンからズュルトへ

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ズュルトの終着駅、ヴェスターラント駅は頭端式ホーム


 切符もホテルも予約していざ出発当日。私にしては早めの出発時刻だったにもかかわらず、緊張して30分ぐらい前にベルリン中央駅に着く。市内公共交通は数分程度の遅れはザラで、それが重なれば下手をすると遅刻してしまうからだ。だから大切な用事のときは、相当余裕を持って行動するクセが染み付いている。いいんだか悪いんだかわからないが、ドイツに住んでからは、最後の最後まで油断できないと思うようになった。

 中央駅は早めに着いても、カフェやパン屋などがたくさんあるから時間をつぶすのには困らない。車内で食べようと、朝食用のパンを買った。コーヒーは迷った挙げ句に買わずじまい。ズュルトは物価が高い。これから3泊もするのだ。さして重要でないテイクアウトのコーヒーよりもほかに、お金を使うべきものがあるはず。要は貧乏性なだけだが。

 地下ホームの乗り場に行くと、列車は既に到着していた。予約した座席の車両に乗り込む。まずはベルリンからハンブルクまでインターシティ(都市間急行)で約2時間半。そこからRE(地域快速)に乗り継いで3時間とちょっと。ハンブルクから先のほうが時間がかかるのか。じゃあパンを食べるのはいつにしようか......などと、どうでもいいことを考えるうちに列車は動き出した。
 ほぼ定刻通りの走行。日本では当たり前かもしれないけれど、ドイツにいるとそれが奇跡に思える。全国を走るドイツ鉄道の遅延は、市内交通に勝るとも劣らないから。というよりも、走行距離が長い分、市内交通よりもトラブルがある印象がある。

 ハンブルクで乗り換える。ズュルトは島なので、到着するまでに海を渡ることになる。これが既にこの旅最初のハイライト。車窓から見える本土の陸地がだんだん狭まって、左右から海が迫ってきて......そして最後は海ばかりになる。その興奮をもう一度味わいたかった。

 ハンブルクからズュルトまでの地域快速は空いていた。数時間乗って、本土最後の駅を出る。さぁ、もうすぐ。もうすぐ左右が海だけになる。カメラを持って待ち構えた。

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本土最後の草原。羊たちが草をはむ

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やがて草原が海になり

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完全な海に

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反対側も海


 本土最後の土地には、もう木も家もない。草原で羊たちが草をはんでいるだけ。その草原が少しずつ細くなる。やがて羊たちもいなくなり、緑色の陸地が水になっていく。海だ。海の上を走っている。
 
 本土と島の間は、盛り土がされて線路が通っている。ズュルトに着いてから知ったことだが、1927年に島と本土を結ぶ鉄道が開通した際には賛否両論あったらしい。鉄道が通ることで、島独自の文化が薄れてしまうのではないかという懸念があったそうだ。でも、いま私はこうして鉄道で島へと走っている。うれしい。

 やがて左右の窓に再び草原が現れた。草原の面積はどんどん大きくなり、私はズュルト島に上陸した。


■バスの切符購入のミッション達成に満足

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本土からの車は、すべて列車に積載されて島まで移動する


 ズュルトに上陸してから駅は3つある。私が降りるのは終着駅のWesterland(ヴェスターラント)。前回も書いたように、この駅周辺がいちばんにぎやかだ。車で移動しない私は、駅から徒歩で行ける場所にホテルを取ったのだ。

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リゾート地のメインストリートらしい瀟洒な通り


 ホテルでのチェックインを済ませたら、荷物を置いてすぐにまた駅へ。駅前のツーリストインフォメーションで、バスの切符について3日券を買うべきか、2日券で足りるか相談したかった。

 「3日めの移動があなたのプラン通りだと、2日券を買って3日めはその都度切符を買ったほうが安いけれど、もし3日めにほかのエリアも行くのなら、3日券のほうがお得ですね」
 と言われ、その場で3日券を購入。26.10ユーロなり。これ1枚で、明日から島内どこへでも行ける。

 時間はまだ夕刻。切符を買うというミッションを達成して満足。美しいヴェスターラントの駅舎を撮影した後は、そのまま歩いてビーチへと向かった。

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美しいヴェスターラント駅構内。1927年の鉄道開通と同時開業だったことを踏まえるとアールデコか

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窓の柄も美しい。ちょっと折り紙のよう


■白く光る海辺へ

 ズュルト島は北海とワッデン海に囲まれている。私が訪れたのは9月下旬なので、いずれにせよ海水浴シーズンではない。けれども人気リゾート地のズュルト、それもいちばんの繁華街に面したビーチは散歩する人々でにぎわっていた。海は夕日で白く光っている。

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旅情あふれるシュトラントコルプのある海辺

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貝殻が打ち寄せられている

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ハマナス、かな


 白い砂浜には、シュトラントコルプというドイツ発祥の屋根付きベンチが並んでいる。この風景がとても好き。
 せっかくの浜辺なのだから寝転べばいいと思うかもしれないけれど、ドイツの海辺は風が強いためにこのベンチが生まれたそうだ。発明されたのはこの北西部ではなく、バルト海側の北東部で、屋根部分のカーブに違いがあるという。でもどちらも籐で編まれていて、海辺の風情がある。ドイツの海だ、と思う。

 街の酒場で1杯飲むと、もう日は暮れていた。

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おやすみなさい

(次回に続く)
 

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Sylt島の北にある灯台List West(写真はすべて今回の旅行で撮影したもの)


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■はじめに

 2019年9月の終わりに、ドイツ最北端のSylt(ズュルト)島へ旅行しました。その旅行記を何回かに分けて書き留めておこうと思います。
 その前にちょっとご説明を。この旅行記は、私自身が書き記しておきたいという思いから書きます。でもせっかくなら、この記事を読んでくださった方がSyltに興味を持ったり、実際の旅行の際に情報としてお役に立ったらいいなとも思います。ですので、私の個人的な旅エッセイであると同時に、観光ガイド記事としての役割も多少意識して書くことにします。

***

■19年前にできなかったことを、いま

 そもそも今回の旅の発端は、初めてSyltを訪れた2000年に遡る。その年の夏、私はドイツのケルンに2ヵ月間ホームステイをして語学学校でドイツ語を習い、その後1ヵ月かけてドイツを旅していた。行きたい場所を大まかに挙げて、あとは成り行きまかせのひとり旅だった。

 旅のお供は『地球の歩き方 ドイツ』1冊。当時はインターネットは既にあったものの、情報はごくごく限られていた。当然、SNSもスマホもなかった。パラパラと『地球の歩き方』のページをめくっていると、Syltの欄に「茅葺屋根の家が見られる」という一文と、その写真が載っている。「いいな。見てたい」と、気ままな旅の行き先にSyltが加わった。

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茅葺屋根の家は島内全域に立っている

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グレーの空に鳥の群れが飛び立っていった


 Syltは島だが、鉄道で行かれるらしい。とりあえず島の終点駅であるWesterland(ヴェスターラント)までの切符を買い、列車に乗った。ホテルは取っていなかった。島だから簡単に一周できるとでも考えたのだろうか、宿泊するつもりでなかったのだ。

 ところが島に上陸すると、どうやら思いがけず広い様子。しかも茅葺屋根が多いというKeitum(カイトゥム)までどうやって行けばいいのかわからない。Keitumへの行き方を尋ねるにしても、習ったばかりのドイツ語で聞くのが気が引ける。夏だったこともあり、駅周辺はバカンスを楽しむ家族であふれている。なぜ私はここにいるの......。結局Westerlandの駅周辺を数時間ウロウロしただけで、次の行き先へ向かったのだと記憶している。

 それほど後悔はしていないつもりだったのだが、「茅葺屋根見学未遂」の気分は意外と尾を引いていたようだ。あれから19年が経ち、その間に茅葺屋根の家を見せてもらい、自分の本(『かわいいドイツに、会いに行く』)にも書いたのだが、それはSyltではない島。茅葺屋根の内側が見られて非常に満足したのだが、それとは別にSyltのことがときどき頭をよぎった。

■Syltはドイツ最北端の島

 ここでSyltについて説明を。Syltはドイツ最北端の島で、北フリースラント諸島のひとつ。北海とユネスコ自然遺産に登録されているワッデン海に囲まれている。
 下のドイツ全国地図(クリックで拡大)で、いちばん上の部分にDÄNEMARKと書かれているところがデンマーク。そのすぐ左横にカタカナの「ト」の字のような島が見えるはず。

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©wikipedia

 拡大した地図が以下のもの(クリックで拡大)。

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 上の地図の左上にSyltと書かれた南北に細長い島。その右側、本土に描かれている黒い実線はドイツ(南側)とデンマーク(北側)の国境線。Syltの北側に位置しているRömという島は、もうデンマーク領。ドイツ本土とは鉄道でつながっている。

 私が抱いていたSyltのイメージは茅葺屋根の家と灯台、それからセレブが集まる高級リゾート地というものだった。

■島内の公共交通・宿そして鉄道

 Syltに行きたいと19年越しにぼんやり思っていたけれど、これまで本腰を入れて計画しなかったのは、島内の交通の便が悪いのではないかと勝手に想像していたから。私は車を持っていないから、公共交通がないと困る。でもそろそろ行っておかないと、いつ何が起きるかわからない。ならば冬になる前に行かないと。

 そこでちゃんと調べてみると、島内にはバス路線が密に張り巡らされていることがわかった。なんだ、全然問題ないじゃん。そこから一気に現実的に考え始めた。

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Westerland駅の後ろにバスターミナルがあり、島内各方面へとバスが出ている


 まずは宿泊場所。Sylt島内で最もにぎやかな場所は、鉄道の終着駅があるWesterland(ヴェスターラント)なので、その辺りのホテルを探すことに。駅から歩いて行ける場所なら、車もいらないし、食事にも困らないはず。なんせ高級リゾート地なのでホテルの価格帯も高いけど、ネットで検索してなんとか払えるホテルを見つけた。

 次は滞在日数。2泊? それとも3泊?
 私がSyltで見たいものは、事前にネットでいろいろ調べて決めていた。茅葺屋根の家。島にある灯台5基すべて。博物館2館。海辺。これらをすべて行こうとすると、2泊ではまず無理だろう。段取りがうまくいったとして、3泊でちょうどいいくらいか。しかしホテルは高い......。悩んだ末に、やはり3泊することにした。今回行ったらもう二度と行けないかもしれない。ケチって2泊にして心残りが生まれたら、一生後悔するかもしれない。そして旅行を終えたいま、それは正解だったと確信した。

 ホテルをネットで予約した後は、ドイツ鉄道の予約。これもネットで。ハンブルク乗り換えで、約6時間で到着する。
 ベルリン〜ズュルト間は、鉄道のほか毎週土曜にeasy jetが直行便を飛ばしている(2019年9月現在)。でも私の頭の中には、鉄道以外の選択肢はなかった。それは以前の記憶があるから。

 19年前、ドイツ本土からSylt島へ鉄道で渡ったとき、途中から陸がなくなり、海しか見えなくなった。右も左も、海。この辺りは干潟で、盛り土の上に引いた線路を鉄道はひた走り、島へと向かう。それにとても感動した。あの感動をもう一度味わいたかったから、鉄道しかあり得なかった。

 あとは、島にある5基の灯台の中でただ一つだけ見学できる灯台のガイドツアーをネットで予約。これで出発前の準備は済んだ。お天気がよくなることを祈って、出発の日を待った。

(次回へ続く→ドイツ最北端の島Sylt(ズュルト)へ・1日め「鉄道で海を渡る」

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ジョージア(グルジア)第2の都市、クタイシ

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 初ジョージア(グルジア)旅行の覚え書き、その2。その1はこちらをご覧ください。→初めてジョージア行ってきた。その1


■首都トビリシの宿は超フレンドリー

宿はいつものごとく、ホテル予約サイトのBooking.comで口コミ欄を参考に予約。レセプションとかがある、いわゆる普通のホテルかと思いきや、行ってみるとアパートホテルだった。

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共有のリビング。しかしその日はほかにゲストがおらず、貸切状態

ホテルに到着すると、共同使用だという広いリビングルームの一角にあるキッチンに、切ったメロンと赤ワインのグラスが置かれており、オーナーの女性と、その夫という男性がニコニコしている。

「さあ食べて」と、チェックインもそこそこにみんなでワインで乾杯し、プチ宴会状態に。
「これは友人の農園でできた赤ワインなんだ」と、男性がなみなみとグラスに注いでくる。「今日は朝から友だちと飲んじゃって」と、どうやらだいぶできあがっている様子。それを横目に、オーナー女性はニコニコしている。親戚の家に来たようだなと思う。
メロンも赤ワインもうまかった。素直なおいしさは、ジョージアの食べ物すべてに通じるのかもしれない。

ちなみにチェックアウトの朝も、桃とコーヒーを出してくれた。

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天井に固定された食卓(アート)

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玄関扉から部屋まで、この階段を上った

オーナーの夫はアーティストだそうで、息子も絵を描いているとのこと、そのせいか、室内は絵画やアンティークや天井に逆さまに固定されたテーブルやらが飾られていて、なんとも面白い空間だった。さらにアパートの入り口や廊下も似たようなテイストだった。どういう人たちが住んでいるのだろうか。

■英語はかなり微妙

上記の宿での会話からは、お互い流暢な英語で話しているように思われそうだけど、これがなかなか微妙だった。現地の人と会話をした場はホテル、レストラン、お店、携帯ショップで、数十人程度と話しただけだが、その中で流暢な英語を話した人は2人だけ。英単語の羅列という状態の人もいた。私も人のことはまったく言えないレベルでどっこいどっこいなのだが、それでも宿泊や買い物程度なら意思疎通は十分にできる。

■アルファベットが読めないタクシー運転手

現地の人は英語はそれほど話せなくても、アルファベットは読めるのかなと思っていた。が、中には読めない人もいるようだ(その割合は不明)。

それがわかったのは、タクシーに乗ろうとしたとき。帰路のフライトのためにトビリシからクタイシへ長距離バス(後述)で戻り、そこからホテルまでタクシーで行こうとしたところ、アルファベット表記によるホテル名を見せても、運転手はわからなかったのだ。運転手は持っていたスマホをこちらに渡して「ここに喋って」と言う(そのように運転手が言っているのだろうと理解した)。スマホに翻訳アプリが入っているらしい。

しかし何回かトライしても無理。結局「あのホテルで聞いて」と、タクシーから目と鼻の先にあるホテルを指さされた。

■「うちに泊まってけ」

タクシー運転手から言われたホテルに行き、レセプションで事情を説明。すると中から男性が出てきて「うちに泊まっていけ」と言い出した。いやいや、もう別のホテルに予約取ってるから、そこに行きたいんだけど......。確かに、ホテルのレセプションで別のホテルについて問い合わせるのもどうかと思うのだが、ほかに手段がないから仕方ない。

最終的にそのホテルの男性が、こちらが予約しているホテルまで車で送ってくれることになった。料金は10ジョージアラリ(1ジョージアラリ=約37円、2019年7月現在)。車は日本車。日本語で「ディスクをセットしてください」というような内容が画面に表示され、機能しないままのカーナビが車内にあった。
男性は「日本車。グッド、グッド」と話す。ジョージアでは日本車を見かける機会が数回あったが、いずれも日本語が表示されたまま機能しないカーナビが付いていたのが面白かった。

■トビリシ→クタイシ行きのバスとドライブインとトイレ

ベルリンまでの帰路フライトもクタイシから出発なので、トビリシからクタイシまで再び移動する必要があった。英語で検索すると、バスステーションからクタイシ行きのバスがあると書かれていたので、そこへ向かう。

着いてみると、そこそこ大きなバスステーションで、どこがクタイシ行きの場所だかわからない。館内のカウンターで「クタイシ?」と聞いたところ、あっちと言われ、教えられた場所で「クタイシ、クタイシ」と言うと、そこにいた女性が窓口に案内してくれた。
お金を払ってチケットをもらうと、そこに書かれていた文字はすべてグルジア文字で、内容が正しいかどうかまったくわからず。しかし、車内には女性のバスガイドがおり、問題なかった。

バスは昼12時に出発予定だったはずだが、11時半に私がバスステーションに着いたときには既にお客を乗せたバスが停車しており、バスは11時45分頃に出発した。満員になったのだろう。もし12時間際に行ったら、クタイシ方面のバスはもうなかったのだろうか。それはわからない。

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ほぼ満員でバスは定刻前に出発

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コーヒーか紅茶のサービス付き


バスが出発すると、同乗のバスガイドが「コーヒー? ティー?」と席を回り始めた。これは往路のジョージアンバスにはなかったサービスだ。紅茶を選ぶと、ティーバッグ入りのカップを渡され、お湯が注がれた。

乗車時間は往路同様、約3時間。その間、1回ドライブインでトイレ休憩があったのも、往路と同様。しかし、そのドライブインの内容が、往路とはまったく違っていた。

休憩で到着したのは、村のレストハウスといった趣の、平屋建ての小さな家。壁には料理の絵に "Anadolu" と書かれているので、どうやらトルコ系らしい。中に入るとだだっ広い食堂が広がっていて、共産主義を感じた。共産主義のものだかは知らないが。
ちなみに往路のバス同様、特に集合時間は知らされず、乗客が戻ってきたのを確認して適当に出発するようだった。休憩時間は、だいたい20分ぐらいだったか。

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このドライブインに私が乗っていたものも含めて、2台の大型バスが停車していた

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このそっけなさ、だだっ広さ

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料理はここで注文するらしい

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ドライブインの庭で休む。ちなみにノーリードの犬が数頭いたが、何もしてこない

トイレは後方にあるらしく、行ってみると専用の小さな建物が。トイレ使用は有料で0.50ジョージアラリ。
ちょっと臭うので大丈夫かなと個室に入ると形は和式で、なんと水洗ではなく、傍らに桶と柄杓が置いてある。バリ島のトイレに似ていたが、バリ島とは違ってトイレットペーパーはあった。
私がジョージア(グルジア)を、「ヨーロッパでも、アジアでもないどこか」と感じたのは、こういう経験も理由の一つ。

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なかなか衝撃的だったトイレ。用を足すのに必死で、便器は撮っていない


■スマホの現地SIM

人はスマホなしでは生きられなくなりつつある。私もそうだ。私のスマホの契約はEU内ならローミングなしでドイツ国内と同様に使えるが、ジョージアはEU加盟国ではない。
そんなときは、現地でSIMを買うのがベストだと思う。SIM購入カウンターはクタイシ空港出口のほか、街なかにもショップがある。料金プランは何種類かあったが、今回選んだのはMAGTIというキャリアのデータ通信のみ(通話なし)プラン。3GBで1ヵ月間有効、約500円だった。

■なぜか深夜まで営業の薬局が多数

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こういう薬局が2〜3軒並んでいる

トビリシ、クタイシともに目立ったのが、深夜まで営業している薬局とドラッグストア。しかもそれが数店舗並んで立っている。そんなに薬の需要があるのだろうか。謎だ。ちなみに両替商も同様に多かった。

■カードは非接触タイプが主流らしい

クレジットカードは、レストランやショップではかなり使える印象。ホテルは、アパートホテルだったせいか、カード使用不可だった。
カードは非接触タイプが主流らしく、こちらがカードを出すと、店員はまずは機械にカードをかざそうとしていた。しかし何も起きないので、あ、ダメかといった様子で、カードを機械に挿入していた。

■端末機が街角にたくさん設置されている

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どんなものだか見てみればよかった

使わなかったのでイマイチ不明だが、街角にたくさん端末機が設定されていた。これで切符が買えたりタクシーが呼べたり、マルチに使えるようだった(実際のところは不明)。

■建設中途のまま廃墟化(?)した建物

建設中だったと思われる建物がそのまま放置されて廃墟化した物件をいくつも見た。資金的に頓挫したのだろうか。20年以上前に訪れたバンコクでそういう物件をよく見たが、ジョージアにもあったのかと驚いた。


以上で、初のジョージア旅行で気づいたことはだいたい書き留めただろうか。自分への覚え書きのようなものだけれど、これから行く方への参考にもなれば幸いです。


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ジョージア(グルジア)の首都トビリシ

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 初めてジョージアに旅行した。以前はグルジアと呼ばれていた国。もともとソ連の構成国で、グルジアはその時代の表記だった。だけどロシアと戦争し断交したことから、ロシア語読みだったグルジアから、英語読みのジョージアへ変更するように政府が決めたという。

 ジョージアへ行こうと思った理由は、Twitterで海外在住日本人の方たちからジョージア情報をチラチラと聞いていたから。その内容の多くは「日本人はビザなしで最長1年間滞在できて、食べ物がおいしいし、物価が安いからおすすめ」というもの。
 私にとってはまったく未知の国で、どんなところだか自分の目で見たかったし、ベルリンからジョージアのクタイシまではLCCで直行便が出ているから行きやすいと思った。

 行くなら早いほうがいいだろうなとも思った。街は生き物だから、いつか行けるときにと思っている間にどんどん変わってしまう。それはベルリンに住んでいてもわかること。

 結果として、ジョージアはとても面白かった。私としては「食べ物がおいしくて物価が安い」よりも、文化の面白さに惹きつけられた。旅の記憶が消えないうちに、ここに覚え書きを。ただしあくまでも、数日いただけの、現地語も国についての知識もない旅行者としての印象で、何かを理解しているわけではないです。


■「ヨーロッパでも、アジアでもないどこか」+「共産主義の香り」

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首都トビリシの旧市街

「ヨーロッパでも、アジアでもないどこか」+「共産主義の香り」。とにかくジョージアの印象はこれ。初日に首都トビリシの街をウロウロしてそう思った。建築はアール・ヌーヴォーと思われるものも多くてそこはヨーロッパなのだが、その合間にアジアっぽいゴチャゴチャ感や、いかにも社会主義的な団地とかが全部一緒くたで、それが面白かった。
「なんだかヨーロッパでも、アジアでもない感じ」と宿の女性オーナーに話したら、「そうかもね」という反応だった。

■旅の計画・ベルリン〜ジョージア間のフライト

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ベルリン(シェーネフェルト空港)からジョージアのクタイシには直行便WIZZ AIRで移動。

ベルリンからジョージアまでの直行便を調べるとGeorgian Airwaysと、ポーランドハンガリー(2020年3月7日追記:ポーランドではなくハンガリーでした。ご指摘をいただき修正しました。)のLCCであるWizz Airが出ていた(2019年7月現在)。Georgian Airwaysは首都トビリシ行きで、Wizz Airのほうはトビリシから約230km西へ位置する、ジョージア第2の都市クタイシ行き。
トビリシを観光したかったのでGeorgian Airwaysのほうが便利だったのだけど、日程や料金の関係でWizz Airを予約。フライト料金は、季節や予約時期によって大きく変動するけれど、私のときはベルリン〜クタイシ往復で約300ユーロだった(1ユーロ=約120円、2019年7月現在)。オンライン上で予約・支払い完了。

■旅の計画・クタイシ空港〜首都トビリシへの移動

クタイシ空港に着いたら、トビリシまでの移動が必要。そこでググってみる。ここで大切なのは、日本語ではなく英語でググること。そのほうが情報が桁違いに多いから。特にジョージアは日本人旅行者がまだ少なさそうなので、日本語情報は限られたものしか出てこない。中学校で習った程度の英語ができればわかると思う。私にもわかったし。

で、出てきたのが以下の情報。
クタイシからトビリシへの行き方(英語)→
https://www.theworldwasherefirst.com/kutaisi-to-tbilisi/

上記サイトから、クタイシ空港からトビリシまでは、エアポートバスが出ているらしいと判明。さっそくそのリンクへ飛ぶ。
GeorgianBus→https://georgianbus.com/new/?lng=eng

GeorgianBusのサイトで英語を選んで予約完了。ところが、予約完了メールの文字がグルジア(ジョージア)文字で何が何やら。なんとなく画面のノリで「予約できてるんだろうな〜」という感じ。カードでオンライン上で支払ってるし。予約済み(らしき)チケットをプリントアウトして持参した。
実際に空港に着いたら、出口に "GeorgianBus"と車体に書かれたバスが停まっていて、まったく問題なく乗れた。所要時間約3時間で、途中1回ドライブインで休憩あり。長距離バスなのに、車内にトイレはなかった模様。

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モダンなドライブイン

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ドライブインのセルフサービスコーナー。一瞬「日本の旅館の朝定食か?」と思う光景が

帰路のトビリシからクタイシまでの移動は、別会社のバスに乗ったけど、ここで途中休憩したドライブインは超ローカルでびっくりした。それについては、次回に。(2019年7月26日追記:この記事の続編を公開しました→「初めてジョージア行ってきた。その2」

■手強いグルジア(ジョージア)文字

ジョージアには、独自のグルジア(ジョージア)文字があるってことを今さらながら知った。ロシア語のキリル文字とは違うクルクルした文字で、どっちかというとタイ文字の見かけに近いか?
街なかの看板とかはアルファベットも併記されているけど、グルジア文字だけだったら取り付く島もない。お手上げ状態。だけど、観光する範囲ならまあまあ大丈夫だった(大丈夫じゃなかったのはタクシーの運転手で、これについては後半で)。

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何が何やら、さっぱり......

■山がちな風景は日本に似ている?

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「あれ、日本?」って思った

クタイシからトビリシまでの道中は、ほぼ山道。さすがコーカサス地方。見渡しても山と谷、川がずっと続いていて、ちょっと日本の風景に似ている気がした。ベルリンは山がないからよけいにそう思うのかもしれない。途中、路肩で素焼きの巨大な壺やハンモック、フルーツなどを売っている売店をたくさん見た。あの素焼きの壺はジョージアワインに使うのだろうか。

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見づらいけど、こんな店が路肩にたくさん

■治安は良さそうな首都トビリシ

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クタイシ空港発のジョージアンバスが到着する、トビリシのLiberty Square

山々を越えて、バスは無事にトビリシのLiberty Square(グルジア文字ではこう書くらしい→თავისუფლების მოედანი)に到着。そこからホテルまでは数kmのはずなので、タクシーに乗ろうと計画していた。
バスを降りると、待ち構えていたように「タクシー、タクシー」と人が寄ってきたけど、ボラれるのを警戒して別の場所から着いたばかりのタクシーに乗車。なんのトラブルもなくホテルに着いた。
街なかを歩いても、あまり危険そうな匂いはしない。中心地は、日没後も観光客や子どもがいて安心して歩けた。

■ブルカ姿の女性が歓楽街を闊歩

目立ったのが、ブルカ(目の部分だけ出た、イスラム教女性のヴェール)姿の女性。女性同士数名や、男性とともに夜の繁華街を歩いたり、カフェで飲み物を飲んだりしている。たぶん観光客のようだけど、どこから来ているのだろう。
ブルカやヒジャブを身に着けたイスラム教の女性がそんなふうに街で歓楽する姿を、ベルリンでは全然見たことがない。街を歩いてはいるけれど、歓楽はしていない。だからとても驚いた。そのことを話したドイツ人も驚いていた。ひと口にイスラム教の女性と言っても、居住国や宗派で行動規範も全然違うのだろう。そんな当たり前ともいえることに気づくのも、旅というもの。

■飲食店ストリートのDavit Agmashenebeli Ave

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夜のほうがにぎわう、Davit Agmashenebeli Ave

ホテルからほど近いDavit Agmashenebeli Aveという通りへ。昼よりも夜のほうがにぎやか。
左右ぎっしりと飲食店が並んでいて、「ジョージアンキュイジーヌ」と熱心に客引きが話しかけてくる。でも危なそうな雰囲気はなく、ラウンジ風のテラス席(低いソファ)ではみんな飲食や水タバコ(シーシャ)を楽しんでいる。フッと水タバコの甘い香りがかすめる。私は食へのこだわりがそれほど強くないので、適当なレストランに入ってジョージア料理。

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ベルリンに住んでいる人なら、このラウンジ風の席を見てシーシャバーを思い浮かべるのではないかな

建物は3階建て程度の低層で、表面はきれいにリノベーションされているようだった。

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観光客が多い通りなので、リノベされている様子


■ジョージア(グルジア)料理とワイン

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ジョージア料理レストランで食べたものいろいろ

なんの予備知識もなく食べたジョージア(グルジア)料理。肉、野菜、スパイス、小麦、チーズなどを多用するのかな、という印象。やはり山がちな国だからか。
スパイスは使われていても、辛くはなくてマイルド。味付けはクセがなくて、日本人に馴染みやすいと思った。正直に言うと「これまでの人生で経験したこともないほどトレビア〜ン(なぜフランス語)」ではなかったけど、「素直なおいしさ」とは思う。「食べやすい」という表現が正確かもしれない。

どこのジョージアレストランにもあったのが「ヒンカリ」。いわゆるジョージア版小籠包で、噛むと中から肉汁がジュワ~。しかし1個1個が大きくて、ひと口で食べきれないのが悩み。焼いたもののほかに、スープ入りバージョンもあった。

ワインは赤白ともにスルスル飲めるおいしさだった。やはり「素直」と表現するのがしっくり来る。辛口もあるけどセミスイートも豊富で、これがとても飲みやすかった。料理にも合う。


ちょっと長くなったので、ここまでで前半ということで。後半に続く。
(2019年7月26日追記:後半はこちら→「初めてジョージア行ってきた。その2」


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夜明けの海に来たかった


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 灯台に会いに北西ドイツまで来た旅は、あっという間に3日目の最終日がやって来た。
(初日はこちら→灯台に、会いに来た
2日目→灯台に、会いに来た・2日目

 海辺というのは、夜明けも美しい。以前バルト海のウーゼドム島を旅行したとき(過去記事はこちら→ウーゼドム島へ)にそう思った。
 これから朝日が昇ろうかというときの、バラ色に染まった空。波も空の色を映し出している。そういう景色をここでも見たかった。

 前の晩に寝たのは午前2時だというのに、無理やり午前7時に起床。着替えだけ済ませて、すっぴんのまま浜辺へ出た。私にとって午前7時は早朝だけれども、そのぐらいの時間に起きている人は大勢いると思う。だから浜辺にももっと人がいるかもしれないと想像していたけど、人影はまばら。ジョギング姿や犬を連れた人をほんの数人見かけただけで、波の音だけが繰り返されていた。

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夜明け前で灯台が光っている


 昨日訪れた灯台が、白い浜辺の先にぽつんと見える。夜明け前なので、白い光を一定のリズムで放っていた。2秒光って、2秒消えて、また2秒光って、2秒消えて、そして8秒光って......という繰り返しだったかな(うろ覚え)。これも昨日の内部見学で教わったこと。

 あの塔の中にいたんだなあ......。

 やがてポツッと雨が降り出して来たので、宿へ戻って朝食。ここを発つのは午後だから、お昼頃まではいられる。少しでも白い浜辺で過ごしたくて、チェックアウト後にまた海へと戻ってきた。雨も上がっている。

 しばらく歩いていると、遠くから女性がこちらへ向かって何か話している。この場で私が話しかけられる可能性はまずないだろうと、そのまま無視して歩いていたら、その女性は私の方に近づいて来た。
 初日にタクシーをご一緒したご婦人だった。

「ここはどう、気に入った?」と聞かれ、すごく気に入った、昨日は灯台を見に行って内部も見学できて......と偶然の再会が嬉しくて答える。
 ご婦人は、あなたあの後タクシーにいくら払ったの、ほんの1〜2km走っただけなのに高かったわよねえ、後で私のホテルにそのことを話したら、連絡すれば駅まで迎えに来てくれたらしいのよ、ととめどなく話す。そういう会話が楽しくて、浜辺でしばらく立ち話。

「私、ここは何回も来ているの。あなたはもう今日帰るの? また来たらいいわよ」とご婦人が言う。

 また来たい。本当に。こんなに気持ちがいいんだもの。

 ドイツは北部が海に面している。北東部はバルト海で、北西部は北海。今回私が訪れたのは、北西部の北海のほう。旅の計画を立てていたときは灯台のことしか頭になくて、ここがどういう場所だかは調べていなかった。

 でも初めて海岸を見て途方もない広さに驚き、遅ればせながら調べたところ、ここは北海の一部であるワッデン海という名で、ドイツ・オランダ・デンマーク3ヵ国に広がっており、ユネスコ自然遺産に登録されている。

 *ワッデン海についての説明はこちら→http://www.germany.travel/jp/towns-cities-culture/unesco-world-heritage/the-wadden-sea.html
http://worldheritagesite.xyz/wadden-sea/

 私が泊まったのは、ワッデン海に面したSt. Peter-Ording(ザンクト・ペーター・オーディング)という町。リゾート地で、ホテルや貸別荘が並んでいる。鉄道が走っていて、Bad St. Peter-Ording駅が最寄り駅であり終着駅。

 駅から浜辺へは1kmぐらい。とにかく見渡す限り白い砂浜が続いることに驚く。しかし浜辺から波打ち際までが遠い。なんと歩いて10〜15分もかかる。

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波打ち際まで、いくつか歩道がある。15分も歩かないと海にたどり着かない


 波打ち際まで行くと、潮の満ち引きによって干潟が現れる。それまで白い砂に埋もれながら歩いていたのが、もったりと水分を含んだ砂になり、ムース・オ・ショコラを踏みつけているような気分になる。

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杭を打ち込んだ小屋のレストラン


 浜辺には杭を打ち込んでこしらえた、高床式のような小屋がいくつもあり、カフェレストランになっている。トイレも同じ形式で、遠目からも洒落ている。
 小屋レストランのひとつで、この辺りの名物ザリガニスープとワッフルを頼んだ。

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別添の器に入っているのがザリガニ。一見小エビのよう

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アツアツのワッフルとチェリーのソースに、冷たいバニラアイスがおいしかった

 波は白く光っていて、穏やかな光が差していて、風は柔らかだった。
 旅行中に仕事をしようとパソコンも持ってきたけれど、これっぽっちもそんな気分になれなかった。このままここで1週間ぐらい過ごしたいと、心から思った。

 灯台に会いたいという気持ちだけで来た旅は、すべてが予想以上にうまくいって、ラッキーなことの連続だった。本当に充実していて、しあわせな気分だった。

 今はもうベルリン。さびしい。でも、思い出の品を持ってきたからね。


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またね


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