
この1週間ほど、ずっと中国とのことを考えていた。
政治はまったく私のテーマではない。だから私の職業はライターであり、自分では決してジャーナリストとは(日本語では)言わない(ドイツ語では、記事のテーマにかかわらず私のような職業はJournalist(in)と呼ぶのでそう言うけど)。
でも、今回起きた中国との事件は、なんか他人事ではなかった。
それはたぶん、私がいま中国ダンス教室に通っていて、中国人の生徒さんたちと定期的に顔を合わせているからだと思う。私はそこでただ一人の日本人。中国語が炸裂している教室は、私にとってリトル中国だ。
今回の事件の発端は、日本の新聞社のサイトで知った。なんだかまたややこしいことになったなあ、と思っていたら、日本は船長を釈放。それに対して、日本のメディアが弱腰外交だという調子で取り上げた。怒っている日本人も、きっと多かったと思う。
その時点まで、私は日本の大手マスメディアの報道だけしか読んでいなくて、私もかなり憤っていた。日本のマスメディアの報道がすべてではないということは、冷静になればわかっていたことだったのに。
マスメディアは絵になるものがほしいから、エキセントリックな写真や映像を使いたがるし、各社の論調に合わせた事実や映像を編集するもの。
それだけを鵜呑みにしていたら、わからない背景というのはたくさんある。たとえば、日本の新聞だけ読んでいたら(私はウェブサイトしか見られないけど)、中国側の事情とかほとんどわからないのでは。
中国人だって、中国の報道でしか事件を知らないわけだから、日本に対して憤るわけでしょ。まあ、中国では何かとコントロールされているだろうから、それはまた別問題だけど。
それに気づいて(というか、人と話すうちに気づかされて)、ドイツ国内の報道を見たり、いろいろな方のブログを読んだりした。そこには日本の報道とは別の視点がたくさんあって、そこではじめて落ち着いて考えられるようになった。
現代なら、さまざまな情報をインターネットで瞬時に調べられる。昔のように限られた情報しか与えられなかった時代とは違う。
個人のホームページやブログ、ツイッターなどの価値はそこにある思う。現場の声や、いろいろな意見を聞ける。物事は、複数の視点から見なくては。
私が恐れているのは、こういう事件がきっかけで一般人同士が危害を与え合うこと。互いの国の実態を何も知らないのに、自国の報道だけで何となく相手を嫌いになり、嫌がらせをしたり傷害事件を起こしたりするようなことは、あってはならないでしょ。
そうはいっても、船長釈放後のギクシャクした時期にダンス教室に行くのが微妙だった。どういう顔で行けばいいのやら......、日本人の私がいてどうなんだろう......なんて、ぐるぐる考えてしまって。
でも、何でもなかった。いつもと同じでみんな親切、ほがらか。いや、もしかして多少気を遣われていたかな。私が行ったら喜んでくれた人がいたしな。
私は一般人で、政治について考えることはできるけど、実際に大切なのは日常の暮らし。日常で、誰と会って何をするかが大切。
相手が何人でも、まずは個人としてつきあいたい。ダンス教室の中国人仲間とも、もっと親睦を深めたい。
まず最初に個人があって、そこから国があるという感じか。だから、ダンス教室で中国人と知り合えたのは、本当によかった。
私はなんでも腹で感じたいんだ。頭で理解することは大切だけど、それだけだとなんだか危ない気がする。腹でも感じると、真に理解できた気がする。
考えてみたら、私がこれまで書いてきた本は、みんな私が腹で感じてきたことばかり。いろんな人に直接会って、話して、お宅にも何回かお邪魔する。
そういうことを100人以上としているうちに、腹で理解したことを書いている。
腹で理解したことしか自分には書けない。
あ、なんか中国について考えているうちに、自分の仕事の方針が見えてきた。
twitter:@kubomaga