2013年2月アーカイブ

衣食住の順番

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自分にとって心地いい環境づくり

 ベルリンに好んで住み続けている日本人は、ここが好きだからそうしているわけで、価値観が似たような人たちが自然と集まっているような気がする。

 今日も日本人の友人と話していて「衣食住で大事な順番は?」となったときに、彼女も私も「住>食>衣」の順番だった。

 「住」と「食」の間はそんなに差がなくて、ほぼ同じぐらい。で、ダントツで「衣」が最下位。服に関しては、2人ともかなりどうでもよくなっていた。

 日本にいた頃は違ったよね、と。たぶんそのまま日本(東京)で暮らしていたら、衣>食>住と、今とはまったく逆の優先順位だったんじゃないかな。

 価値観は環境に左右される。ベルリンでは、東京に比べたらはるかに安い家賃で広いアパートが借りられる。だからこうなった。
 
 でも「住」が大事といっても、決して高価な家具を買っているわけではない。人から譲ってもらったり、蚤の市で見つけてきた家具を集めながら、徐々に自分のイメージに近づけていく。自分でできることは自分でやる。
 だから、すごくスローテンポ。年単位で考えていたりする。

 そういう過ごし方は、日本から見たら貧乏くさいと思われるのかもしれない。
 でもベルリンに来て、豊かな暮らしとはこういうことを指すんじゃないかと思うようになった。少なくとも私は、こういうのが豊かだと思う。

 住まいは、生きる上での基本。
 食も体を作るから、生きる上での基本。
 着る物は、基本があった上での楽しみかな。

 日本の住環境がベルリンとは違っても、身の回りを整えて自分の好きなイメージに近づけていくことはできる。

 私はこれまで「インテリアとは室内を飾り立てるものではなく、自分が気持ちよく過ごせるように整えること」と折に触れ書いてきた。住まいが自分にとって心地いいと、気持ちいい循環が生まれる気がするんだよね。

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新年好! 我吃餃子

 ときどきこのクボマガで書いている中国舞踊。これについて書いた回で反応が来たことはないので、みんな興味ないんだろうなとは思うんだけど、私の中でどんどん重要な位置を占めてきているので、どうか書かせて。

 たまたま薦められて、運動不足解消のつもりで始めてから、はや足かけ3年。この時期は中国の旧正月ということもあり、そのお祝いもかねて毎年発表会が行われてきた。

 今年は、3回目。
 私は相変わらず中国語がわからず(本は買ったが勉強せず)、中国人と中国語に囲まれて新しい踊りを2〜3曲ほど覚えた。
 今年は2曲踊って、終了後に振る舞われた餃子(旧正月に食べる風習とか)をみんなで食べた。

 以前も書いたけど、私は特に中国に興味があったわけではない。だけど、この「ドイツの中国人集団に日本人がひとり」という二重のアウェー体験をこれまで望んで続けて来たのには、自分で分析したいくつかの理由がある。

 まず、踊るのが思いがけず楽しかったこと。

 私は子どもの頃から母親に「あんたは踊りに向いていない」と言われてきて、自分でもそれを自覚していた。今でも才能があるとは全く思わない。
 けど、やってみたら結構踊れたんだよ。そりゃ、先生の目から見れば中国舞踊を理解しているわけではないんだろうけど、少なくとも振りをなぞることはできる。それが楽しかった。
 さらに私は舞台に上がるのが好きな性分なので(バンドでライブもやってたし)、たまに訪れるそういった機会はモチベーションを上げさせた。

 そして2点目、これはちょっと微妙なテーマなんだけど、舞踊を通して中国人と何のわだかまりも感じずに交流できるようになったということ。

 日本に生まれ育って、いつからだろう、歴史的背景から他のアジア諸国に対して申し訳ない気持ちを抱いていた。自分は戦時中に生きていたわけではない。だけど、後ろめたかった。
 日本では他のアジア人と知り合う機会がなかったから、どう接していいかわからないままだった。

 ベルリンに来て、何人かの中国人と知り合う機会があった。自分には後ろめたさがあるもんだから、必要以上に親切な応対をしていたりして、でもそれが対等な付き合いじゃないと思えて、自分で嫌だった。

 そんなぎこちない行動が、中国舞踊を通じて中国人と接するうちに見事に消えた。

 正直、いちばん最初は中国人の中に日本人ひとりで入っていくのが恐かった。冷たくされるんじゃないのか、嫌な思いをするんじゃないかと心配した。

 だけど、そんなことは全くなかった。
 他の生徒さんたちは基本的に中国語で話していて、私に対してだけ時々ドイツ語でフォローしてくれている状態なので、自分が輪の中に溶け込んでいるとは思わない。でも、私に対して意地悪な感情がないことは、話せばわかる。

 もちろん、ここで知り合った中国人たちはドイツに住んでいるのだから、本国の中国人とは大きく違うと思う。でも、自分の中で変なわだかまりがなくなったことが、大きな収穫なんだよ。もちろんそれとは別に、歴史は勉強しなきゃいけないと思う。

 ベルリンに来てから、日本ではできなかったであろうことをたくさん体験してきた。それは私の財産だ。
 
 経済的にはちっとも豊かにならないけど、私の人生は豊かになっている、と思う。それが私にとってしあわせなことなんだ。しあわせは、自分軸だからね。

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プレンツラウアーベルクも、すっかりきれいになったもんだ

 前回のクボマガブログで、「ベルリンはおもしろいエリアが次々と移っている」と書いたけど、これって本当にベルリンに顕著な傾向だと思う。

 きっとどの大都市でも、人気エリアの移り変わりってあると思うのだけど、ベルリンは90年に統一した際に半分が東ドイツで発展の余地が大いにあったというのが、他都市とのいちばん大きな違いじゃないかな。

 統一後に人気が出たのがミッテ、プレンツラウアーベルク地区。私がベルリンに住み始めた2000年代前半までは、その流れが続いていた。
 私は知らないけど、90年代はパジャマでその辺を歩いていた人もいるというし、わけのわからない、でも刺激的な可能性に満ちあふれていたんだと思う。その環境は、私が来た頃にもまだ感じられた。

 やがてその地区の人気が定着して、家賃が上昇。するとその地区を面白くしたアーティストやクリエイティブ系の人々は、そこを去って新たなエリアを探しに行く。
 その代わりに住み始めたのは若いファミリーや小金持ちの人。そうなると、ヒップだけど小ぎれいでお金も必要な場所になっていく。

 それと前後して、フリードリッヒスハインやクロイツベルク地区の人気が上昇した。フリードリッヒスハインは、ミッテやプレンツラウアーベルクと同じく、旧東ベルリン地区。クロイツベルクは旧西の場末エリアだったようだけど、その雰囲気がよそ者にとっては魅力的だったと思う。

 だいたいベルリンの魅力に惹かれてやって来る人たちって、小ぎれいなものを求めていないと思うのよね。その逆。小汚いけど、カッコいい、何か面白そう、そういうのが好きな人たちだと思う。

 やがてフリードリッヒスハインやクロイツベルク地区への人の流れが飽和状態になると、今度はさらに家賃の安かったノイケルンに注目が集まった。それが2000年代後半頃から。
 いまノイケルン(主にクロイツケルンエリア)には、ちょっとおしゃれな店がいっぱいある。カフェもどんどんオープンしている。でも、そろそろここも家賃が上がって次のエリアに移行していく時期かもしれない。

 ノイケルン地区は広いから、今よりももっと南下していくのかもしれないし、ベルリン中央北部寄りのヴェディング地区に転居しているデザイナーやアーティストも知っている。
 中心に近くて交通の便を考えると、ノイケルン南部よりもヴェディングの方が発展の可能性としては高いかも。

 地区が発展していく経過って、大体どこも同じだと思う。
 まず最初に、低所得者層が多く住むような家賃の安いエリアに、アーティストやクリエイターなどが引っ越す(アトリエなどの広い場所を必要とするから)→その人たちが集まれるようなカフェやバーができる。お金をかけずにセンスの良い店であることが多い(この時点ではエリアはまだ小汚い)→店が増えるにつれ、エリアが旬の雰囲気になってくる→クリエイティブな仕事に携わっていない一般の人も越してくる→人気上昇・家賃も上昇→新たな地区探し...
 という流れ。

 そういう動きがベルリンのあちこちの地区で繰り返されて来ているし、まだこれからも続いていくんだと思う。
 そのうちベルリン全体が、すっかり小ぎれいになって物価もバーンと上がるのかもしれない。

 でも、それは一個人では止めようがない。町は生き物だし、そういう発展も含めて人は町と共に住んでいるのだから。
 

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ただいま発売中です

 月刊『cafe-sweets」vol.144(柴田書店)が書店で発売中です。
 この号で、今ベルリンで最も注目されているノイケルンエリアのカフェをご紹介しています。

 ベルリンには行政上12の区があるんですが、「今どこのエリアがイケてるか」というのは、どんどん変化しています。ノイケルンはベルリン南部の区で、特にノイケルン北部エリアで、ここ数年新しいカフェが続々オープンしているんです。

 ベルリンの中央部は家賃が上がって小ぎれいになる一方なんですが、ノイケルンにはまだ個人オーナーによる個性的なカフェが生まれる余地があるんですよ。

 今回の記事ではカフェ紹介と同時に、ベルリンの区の発展とカフェインテリアの変化についても触れています。
 ベルリンは壁崩壊後から新たな歴史が始まっていて、おもしろいエリアが次々と移っていく点が、この都市特有の魅力だと思うんですよね。

 掲載誌を見ていて思ったのは、ベルリンのお客さんはカフェ内でのMac(もちろんウィンドウズ派もいるんですが、ほとんどMac。なぜかそうなの)使用率が高いな〜、ということ。
 店内で無線LANが無料で使える場合が多いので、Mac持参で来る人がすごく多いんです。

 日本では無線LANを無料で使えるカフェは、たぶん少ないですよね。以前は携帯電話(いわゆるガラケー)で何でも事足りたのかもしれませんが、今はタブレットを持っている人もいることだし、外出先でネットにつながったら便利だなあと思ったりします。
 無料無線LANを広めるのって、業界的な縛りがいろいろあって難しいんでしょうか。

 本号の特集は「カフェの空間学2013」。
 日本全国の個性的なカフェ、おしゃれなカフェが登場しています。
 全国の書店にて、お求めくださいませ。

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こういう品を取り扱っています

 今回はお知らせです。
 妹と私でやっているレトロヴィンテージ雑貨ネットショップ「アムゼル」が、このたびFacebookページを始めました。
 こちらです。
http://www.facebook.com/Amselberlin

 このページでは、アムゼルブログ更新のお知らせ、商品情報、ベルリン暮らしなどの情報をお届けしていきます。
 Facebookに登録されていない方でも、このページはご覧いただけます。ページにアクセスをして、ページ右上にある「いいね!」ボタンを押してくださると、とっても励みになります。

 「アムゼル」ではFacebookページの他に、ブログやツイッターなども行っています。こちらもご覧になってみてください。もちろん、ショップのページも、どうかよろしくお願いします!

アムゼルショップページhttp://www.amselberlin.jp/

アムゼル店長ブログhttp://blog.amselberlin.jp/

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キッチンの中の歴史

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昔の人の知恵ね

 前回に続いて、キッチンの話。
 ベルリンにはアルトバウと呼ばれる、1900年前後に造られた建物が多い。もちろん内装は時代によって変わり続けているんだけど、所々に昔の名残が感じられる部分が残っていたりする。

 たとえば、アルトバウは壁が厚いので(建物は重厚なレンガ造り)、壁の厚みによって、窓と内側の壁との間に20cmぐらいの幅がある。

 キッチンの窓の下には、その幅を利用した収納庫がある。上の写真では、木の扉の内側部分がそのスペース。
 昔はここに、ジャガイモとかを保存していたらしい。外壁に面してるから比較的冷温で、まだ冷蔵庫がなかった時代には保存に適していたスペースだったんだって。

 わが家にはこの窓際収納庫はなくて、その場所には暖房が備え付けられている。私はそれほど大量の食糧を備蓄しなくてもいいから、この収納庫がなくても別に不便ではない。

 でも、この収納庫がまだ残っているアパートもある。こういう部分があると身近な歴史を感じられて、ちょっとうれしくなるんだ。

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