ときどきこのクボマガで書いている中国舞踊。これについて書いた回で反応が来たことはないので、みんな興味ないんだろうなとは思うんだけど、私の中でどんどん重要な位置を占めてきているので、どうか書かせて。
たまたま薦められて、運動不足解消のつもりで始めてから、はや足かけ3年。この時期は中国の旧正月ということもあり、そのお祝いもかねて毎年発表会が行われてきた。
今年は、3回目。
私は相変わらず中国語がわからず(本は買ったが勉強せず)、中国人と中国語に囲まれて新しい踊りを2〜3曲ほど覚えた。
今年は2曲踊って、終了後に振る舞われた餃子(旧正月に食べる風習とか)をみんなで食べた。
以前も書いたけど、私は特に中国に興味があったわけではない。だけど、この「ドイツの中国人集団に日本人がひとり」という二重のアウェー体験をこれまで望んで続けて来たのには、自分で分析したいくつかの理由がある。
まず、踊るのが思いがけず楽しかったこと。
私は子どもの頃から母親に「あんたは踊りに向いていない」と言われてきて、自分でもそれを自覚していた。今でも才能があるとは全く思わない。
けど、やってみたら結構踊れたんだよ。そりゃ、先生の目から見れば中国舞踊を理解しているわけではないんだろうけど、少なくとも振りをなぞることはできる。それが楽しかった。
さらに私は舞台に上がるのが好きな性分なので(バンドでライブもやってたし)、たまに訪れるそういった機会はモチベーションを上げさせた。
そして2点目、これはちょっと微妙なテーマなんだけど、舞踊を通して中国人と何のわだかまりも感じずに交流できるようになったということ。
日本に生まれ育って、いつからだろう、歴史的背景から他のアジア諸国に対して申し訳ない気持ちを抱いていた。自分は戦時中に生きていたわけではない。だけど、後ろめたかった。
日本では他のアジア人と知り合う機会がなかったから、どう接していいかわからないままだった。
ベルリンに来て、何人かの中国人と知り合う機会があった。自分には後ろめたさがあるもんだから、必要以上に親切な応対をしていたりして、でもそれが対等な付き合いじゃないと思えて、自分で嫌だった。
そんなぎこちない行動が、中国舞踊を通じて中国人と接するうちに見事に消えた。
正直、いちばん最初は中国人の中に日本人ひとりで入っていくのが恐かった。冷たくされるんじゃないのか、嫌な思いをするんじゃないかと心配した。
だけど、そんなことは全くなかった。
他の生徒さんたちは基本的に中国語で話していて、私に対してだけ時々ドイツ語でフォローしてくれている状態なので、自分が輪の中に溶け込んでいるとは思わない。でも、私に対して意地悪な感情がないことは、話せばわかる。
もちろん、ここで知り合った中国人たちはドイツに住んでいるのだから、本国の中国人とは大きく違うと思う。でも、自分の中で変なわだかまりがなくなったことが、大きな収穫なんだよ。もちろんそれとは別に、歴史は勉強しなきゃいけないと思う。
ベルリンに来てから、日本ではできなかったであろうことをたくさん体験してきた。それは私の財産だ。
経済的にはちっとも豊かにならないけど、私の人生は豊かになっている、と思う。それが私にとってしあわせなことなんだ。しあわせは、自分軸だからね。
お久しぶり。久保田のブログで、バレエ、スランプに陥っている私が、頑張らないとって思うとは意外だった。3年やったら、深いおもしろさがだんだんわかって、自分の日常の一部になるよね。10年過ぎたら今、老いと才能のなさと色々戦ってるけど。ぜひぜひ、頑張ってください。
田中さん、お久しぶりです!
私のブログが田中さんを鼓舞するなんて!
プロダンサーを目指すのとは違う、この年になって始めたからこその良さってあると思うんですよ。
才能なんかなくて当たり前。でも踊りからいろいろ学ぶものがあって、それが楽しいんですよね。お互い、踊りをできるだけ続けたいですよね!
…御言葉に甘えて、こちらにも……。
このコメントを最初に観た時の言葉は
「餃子、美味しそう!」
……でした、根っからの食いしん坊なもんで……ごめんなさい!
旧正月の餃子って日本の『おせち』と同じノリで、「交子(ヂァオヅ)=ズバリ『子宝』のこと!」と発音が同じだからって事で食べるそうですね……ということは、凄い子宝???
今でも才能があるとは思わないけど、踊るのが思いがけず楽しかった、という下りを読んで、うんうんと頷いていました。
『しあわせは、自分軸』も合わせて読ませて頂きましたが、ホントそうなんですよね。
先ず自分が楽しくないと……という以前に、今は
「何でそれをやりたいと思うのか?」
…から出発しないと、自分でも無自覚の内にその基準が「世間体」「流行」だったりするんですよね。
そして世の中、何が幸いするか判らない……。
私の数少ない趣味、最大は「料理」なのですが、これまた幼少からずっと
「なんか好きだから」
……続けていた洋裁(主にお直し)関係が、なんと今の我が家を支える基本になっています。
日本に居た時は「直してあげようか?」「作ってあげようか?」と申し出ても
「もう捨てるから」
「新しいの買えばいいから」
「××(のブランド)の方がイイから」
……って感じだったんですけどね。
「なんか、好きだから」
……の感覚で続けている事って、物凄く大切な事だし、結局自分に合っているのだろうな、と考えるようになりました……。
リオさん、こんにちは。
子宝と同じ発音だから餃子を食べるんですね!いま知りました。なるほど〜!
餃子はおいしかったです。一緒にお皿に乗っている春巻きと鴨肉グリルも美味でした。
自分が欲していることに耳を傾けるのは、実は案外難しいことなのかもしれませんね。
情報がたくさんありすぎて、わからなくなることもありますし。
たぶん無理せず長く続けていること、気がつくとついやっていることが
自分が好きなことなんでしょうね。
好きなことがわかっているのは、しあわせなことだと思います。
リオさんはお料理と洋裁がお上手なんですね(プロの方にこういう
言い方は失礼なのかもしれませんが)。
どちらも私が不得手なことなんです。料理は毎日のことですから
やりますが、料理の作業自体を楽しむというより、
お腹が空いたから作る感じです。
洋裁に至ってはもう、全然ダメで。中学校の家庭科の成績も
よくなかった記憶があります。
世の中、いろんな人がいてうまく行くんでしょうね。