続けていくエネルギー

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 先日、念願かなってベルリンのオッシャレーなバーに行ってきた。そんなところは本来私が行く機会はないのだが、知人がそこで歌うということで、入ることができたのだ。

 まず、わかりにくい外観からしてオッシャレーだ。住所を知らない限り、そこに店があるとは気づかなさそう。友人と行ったからわかったようなものの、私一人だったら絶対に素通りしているはず。
 しかも、入口にドアマンがいて、入る客をチェック。こんな偉そうな店、ベルリンで初めて行ったよー。多少気張ったカッコで行ったからよかったけど、これ、普段の私の服装なら拒否されたりするんだろうか。

 で、入ってみると、なんかギョーカイっぽい人々がいっぱい。服装とヘアスタイルが違う。こういうところに、こういう人たちがいたのかーと思った。ベルリンはみんなビンボーかと思ってたけど、やっぱりいるところにはいるのね。

 と、本当はこんな話だけ書いて終わりにするはずだったのが、友人の歌を聴いているうちに、まったく別の気持ちがわいてきた。

 彼女は音楽活動をしていて、レコードも出している。でもそれだけでは生活していけないから、バイトをしながらがんばっている。そして、ときどき今回のようなコンサートをする。

 人が歌っているのを見ると、自分も歌いたくなる。それは私も歌っていたときがあったから。ライブハウスにちょろっと出させてもらう程度のレベルだったが、当時は30になっても40になってもずっと歌っていたいと思っていた。歌えなくなったらどうやって生きていけばいいんだろうと真剣に考えていた。

 若いときは消化しきれないエネルギーというのがあるのかもしれない。淡々と毎日を過ごすだけでは、発散しきれないエネルギー。だから人は歌ったり、弾いたり、描いたり、演じてみたりするのではないか。

 それがいつしか、その活動を維持するためにエネルギーが必要になってくる。何かを続けるためには気力が必要だけど、そういうのは次第に薄れていってしまう。

 でも、それはいいわけに過ぎないのかもしれない。彼女はずっと音楽を続けている。続けるというのは本当にすごいことだ。
 それができなかった自分は、その程度の気持ちしかなかったということなんだろう。あり余るほどのエネルギーというものも感じないし。年を取ったということか。いや、自分のエネルギーはその程度ということなんだろう。

コメント(6)

ひとは生きているだけでエネルギーを発散している。毎日を生きる為にひとからエネルギーを貰ったり、自分でも発散したりしているのかも。年を取ってくると若い頃のようにエネルギッシュではなくなることは確かで、だから選択をしてしまう、寂しいけど……。でも、良い選択をした。今、自分がしていることを「その程度」で終わらせないことが大切な気がする。

ゆみさんへ
生き続ける限り何かやってると思うのよ。
私は歌に対するエネルギーはもうないんだろうけど、
それに代わる何かに対してエネルギーを費やしていると思う。
きっと私がベルリンに来たのも、エネルギーを発散する
一つの形だったんだと思う。それは歌に対する気持ちとは違うけどね。

そうだよ!しなかった事の後悔はしないようにこれからも行きたいね。一度は歌っていたんだから、いいじゃない。私はないよ〜。

好きなことして、やるべきことをやってたら後悔ってしないね。
歌だって、ひょっとしてこれから機会があったら、またやるかもね。

クボタさんの歌♪
聴いてみたいです!!
学生の頃から歌っていたんだったよね〜。
ぜひまたやって!(希望)

ひとつのことをずっと続けていくのって、やり方やカタチや関わり方や、いろいろ変化してこそ続けられるのよね。
もちろんエネルギーが必要だけど、それだけじゃない柔軟性やそもそもの好きさ加減とか・・・
そして、それを続けるがために他のいろ〜んなことが犠牲になったりもしてる気がします。

りりあんさん、機会があれば歌いたい気持ちはありますよー。
ただ、そのために自らメンバーを探したりするエネルギーはもうないけれども。
それより、歌い続けてないと、いざ歌おうと思っても声が出ないのよね。

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