"Berlin ist arm, aber sexy"(ベルリンは貧しいが、セクシーだ)とは、ベルリン市長・ヴォーヴェライト氏が2003年に放った、あまりにも有名な一言。
2011年現在、ベルリンはその言葉がそぐわない状況になりつつある。
空き地だった場所には投資家によって次々とアパートが建ち、古いたたずまいが魅力的だった建物は、中をすっかり改装されて家賃が跳ね上がる。前回このコーナーで書いたC/OBerlinという美術館も近い将来立ち退かなくてはならず、その後は高級アパート&ホテルとして改装される計画らしい。
ベルリンは首都だけど、目立った産業がないから貧乏だった。経済が回らないから、富裕層も少ない。
だからこそ物価が安く、廃屋同様の古びた建物や工場建築、空き地がたくさんあった。そういう自由な空間とドイツ再統一による突然の資本主義という組み合わせが、おそらく世界中でベルリンしかない、独特の魅力を作り上げていたのだと思う。
「ここはドイツではなく、ベルリン」。
ベルリーナーたちはそう思っているし、私もそう。そこに魅せられて大勢の人たちが集まってきたはず。
だけど、そういうベルリンの魅力に惹かれて人が集まってくると、町がどんどんつまらなくなっていく気がしてならない。
貧乏だからこそ保たれていた魅力が、小金持ちがやって来ることで失われる。こういうパターンはベルリンだけでなく、きっと至るところであるんだと思う。
お金を持つことが悪いこととは全然思わない。お金はあったほうがいいに決まってる。いかに稼ぐかをみんなが考えるから、経済は回っていくわけだろうし。
ただ、お金って便利で、たいがいのことはお金で解決できてしまう。そうすると、創造性というのは失われやすいように思う。
これまでたくさんのお宅にうかがってインテリア取材をしてきたけど、リッチな人のお宅は傾向として(あくまでも私の印象)、きれいだけどクリエイティブではない。お金があればインテリアコーディネートは外注すればいいし、使用する素材とかの制約も少ない。
貧乏な人は、お金で解決できないから、自分好みにするためにすっごく考える。新品を買う代わりに中古品を探したり、自分で作ってみる。
そういう行動が、ベルリンをセクシーにしてきた一因だと思う。
だから"ベルリンは貧しい「が」、セクシー"ではなく、"貧しい「から」セクシー"なんだと思う。
これからもセクシーなベルリンでいてほしいけど、次々とこぎれいになっていく街角を見ては、少しさびしい気持ちになる。
twitter:@kubomaga