服への情熱は遠い過去となりにけり

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かける服が...ない

 「衣食住」シリーズの最終回は「衣」。
 2月20日付けの「衣食住の順番」で、「そのまま日本(東京)で暮らしていたら、衣>食>住と、今とはまったく逆の優先順位だったんじゃないかな。」と書いたら、それを読んだ家族から、私は日本でも「衣」より「住」を重視していたよ、と言われた。

 う〜ん、そうだったかな。もう忘れてしまったわ(私はすぐに忘れる)。

 私が「衣」に異様に情熱を燃やしていたのは、中高生の頃。でも、それってよくあることじゃない? 思春期の子どもって、何を着るかが人生で最重要みたいなところがない?

 当時の私にとって、服は重要な自己表現だったんだと思う。中学校では制服があったから、遠足みたいな私服で行ける行事は気合いが入りまくり。大人っぽい格好をしたくて、お店を何軒も見て回ったものだった。
 私は目立つ生徒じゃなかったから、私服のときは自分の存在をアピールできる気がしていたんだろうね。そう思うと、貧富の差が目立つから、とかいう理由で制服にしちゃうのもどんなもんなんだろうか、という気もする。

 高校生になったら、基本は私服だったので(でも色とか形にコードがあって、かえって面倒だった)毎日が楽しかった記憶がある。
 別に高いブランドとかではなくてね。自分の好みにこだわってた。

 親に買ってもらっていた子どもの頃の方が、かえっていい服を着ていたかもしれない。
 今じゃ、限られた収入を洋服に回す気はない。最低限の数があればいい。

 だからといって、何でもいいわけじゃない。好みはあるんだもの、気に入る物を探して買う。質感、形、色は大切。
 たまに、応援したいデザイナーさんのものや、好きなブランドを買う。そのぐらいでいい。

 お金があれば買える服の選択肢が広がるんだろうけど、そんな余裕があれば、私は何か経験を積むことに使いたい。どこかに行ったり、何かにトライしたり、そういうことにね。

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