2年前鹿児島に旅行をしたとき、降灰用袋を初めて見た
先日、鹿児島出身の友人が一時帰国をした。折しも、観測史上最大と言われる桜島の噴火があったとき。
なぜこんなときに帰るのかとドイツ人から聞かれるでしょ、と言ったら
「だってそこに生まれて、家族が住んでいるんだから仕方ない」
と。
こういう質問は心理的に追い詰めてしまうかもしれないと思いながらも、もし火砕流が流れ出て、鹿児島の市街まで来たらどうするのとも聞いてみた。
「そのときは、どうにもならない」
と、あっさりと言われた。
友人は幼少時から桜島が噴火している光景を見て、灰が降っている中を通学していたのだ。降灰用の袋に灰を詰めて処分していたりしたのだ。
そういう日常の中に生きている。
でもそれは鹿児島に限った話ではなく、日本全体に言えることだと思った。噴火は限られた地域にせよ、地震や台風などの天災は日本全国にある。
「そこに生まれて、家族が住んでいるんだから仕方ない」という言葉は、日本に生まれ育った者なら多少なりとも思うのではないか。たとえ、いつ来るかわからない地震への恐怖があったとしても。
ベルリンに住み始めてから、人命に関わるような天災など経験したことがない。つくづく日本は天災の国だと思う。さらに今では、原発という人災も加わってしまった。
家族がみんなベルリンに来てくれればいいのにな、と思うことがある。でもそれは難しい。生きる環境を考えたとき、天災以外の要素は山ほどある。
でも怖いよね。家族や友人と別れるときは、縁起じゃないけどいつも祈るような気持ちになる。日本に生まれた者の、運命なんだろうか。