NHK『まいにちドイツ語』1月号発売中!懐かしのシェア時代

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ドイツと言えば、アイスバイン。1人で完食は無理ムリ

 大変告知が遅くなりましたが、NHKラジオドイツ語テキスト『まいにちドイツ語』1月号が発売中です。あと1週間ぐらいで次の号が出ちゃうので、まだの方はお早めにお求めくださいませ(ラジオで勉強されている方は、勉強上とっくにお持ちかと思いますが...)!

 私の連載「ドイツのgemütlich(ゲミュートリヒ)な暮らし」は、いつも通り「まいにちドイツ語」NHK出版ページ内にある「試し読み」ボタンをクリックしていただくと、ご覧になれます。

 今回のテーマは「Wohngemeinschaft(ヴォーンゲマインシャフト)」です。要するにフラットシェアです。

 ベルリンに住み始めた数年間は、私もフラットシェアをしてたんですよ。
 ドイツの暮らしを体感したければ、シェア暮らしをするのがいいですよ。一つ屋根の下で暮らすわけですからね、見たくない面も見たりするもんです。そこにあるのは、リアルなドイツです。

 フラットシェアは、外国人にとっては特にメリットがあると思います。
 まず、自分でフラット(アパート)を借りようとすると、外国人というだけでどうしても不利になります。賃貸契約は早い者勝ちではなく、大家さんが希望者の中から選ぶので、言葉が不自由な外国人よりもドイツ人が選ばれる可能性が高いですよね。

 また、インフラが整っている環境に入居するので、スーツケース一つですぐ暮らせます。ガス・水道・電話開通の手続きをしなくてもいい。
 これは大きいですよ。ドイツ(ヨーロッパ全体か)では、こういう手続きに恐ろしく時間がかかりますから。

 そして、同居人とのコミュニケーションによって得るものの大きさ。同居人がドイツ人とは限りませんが、異文化を学べるわけですよ。腹が立つこともあるけど、勉強になります。

 私が最初にシェアしていたフラットは、同居人が学生やワーホリ滞在中の人だったので、私も含めてみんな時間がありました。
 だから、毎晩のように共同のキッチンでおしゃべりしたり、よく一緒に遊びに出かけたりしました。私の人生の中で、そんな時間はたぶんもう来ないでしょうね(いや、ひょっとして老後に?)。

 今はそういう生活はできないな、と思います。仕事があるし、やりたいことがたくさんある。自分のペースで暮らせる環境が必要になりました。
 ですが、シェア時代の経験は今につながっています、きっと。

コメント(4)

Wohngemeinschaftいいですよね。
郊外の古い農家でドイツ人の学生5人といっしょに住んでいました。持ち主がそばに新築したので、一軒まるごと借りました。なにしろ築200年だから、壁紙を張り替えたり床を直したり、ストーブを組み立てたり。ドイツ人はDIYが大好き。壁紙を剥がしたら、下張りの新聞紙の見出しが「ナチス党、第一党に躍進」。まるでタイムカプセル。

交代で料理当番だったからお料理の本を送ってもらって、日本風の料理を作ったものです。暖房はストーブなので、これも交代でブリケット(炭の粉を固めたやつ)を買出しに行かなくてはなりません。服も車のトランクも真っ黒。

中庭には豚の糞にまみれた敷き藁が積み重ねてあって、ちと匂うことも。その横で豚をつぶすのを見物してから、吹き出る血で作ったソーセージをおすそ分けしてもらう。初めて経験することばかりでした。

なにより仲間と過ごした日々が忘れられません。クリスマスや新年をいっしょに祝ったり、実家に呼んでもらったり。過ぎ去った日々はもどりません。年寄りくさいノスタルジーですみません。

久保田さんはドイツで暮らせて、いいなー。
リタイアしたらまたドイツで暮らそうかな。

falanさん、こんにちは。
郊外の古い農家なんて、聞いただけでワクワクします!
自分は、ままごとみたいなDIYしかやってないんですけど、
ドイツ人たちはボロボロの廃屋を自分たちで修復していて、感心します。
お金がないというのもありますが、DIY作業そのものが楽しいんですよね。

ナチス党が第一党になったときの新聞が出てきたということは、
ワイマール共和国時代で、第二次世界大戦に突入する前ということですね。
うわぁ〜、なんだかリアルに歴史を感じます。

石炭ストーブは、ベルリンのアパートでもまだ使っているところはあります。
DDRでは低品質の褐炭(でしたっけ? Braunkohleです)を使っていたので、
匂いや汚れがひどかったと聞いたことがあります。

日本のお料理は、何を作られたんでしょう?
ドイツ人の反応ではいかがでしたか(たぶん喜んでいたのではないかと想像します)。

falanさんのリアルなエピソード、すごく楽しいです。
また気が向かれましたら、いろいろ教えてください!

WGをやっていたのはDDRではなくヘッセン州のマールブルクという町の近くの村です。
最近「ハンナ・アーレント」という映画が評判です。2年前に東京国際映画祭で見ましたが、まさか日本で人気がでるとは思いませんでした。アーレントとハイデガーが出会って恋に落ちたのがマールブルクです。関係ありませんが、私とカミさんが出会ったのもこの町です。

それはともかくDDRの暖房に使われる褐炭のことですね。これはたしかに印象に残っています。ですがアイゼンヒュッテンシュタットでは、あのむせ返るような匂いを嗅いだことはありません。石炭ストーブの煙も見かけませんでした。そういう意味では西の農家で暮らしていたときより、生活水準が向上しましたね。

強烈な記憶が残っているのは、西との国境の町アイゼナハです。 ヴァルトブルクの工場がある立派な町ですが、その日は風向きのせいなのか、駅を出てしばらく歩くと薄黄色のもやに包まれていて、通りの向こうが見えないほどでした。匂いがすさまじくて、その一帯を抜けるまで、消防訓練を思い出して這って進んだほどです。
あの匂いは未知のものではなく、子どものころの記憶とも結びついていて懐かしくもありましたけど。

料理当番で作ったのは、カレー、肉じゃが、すき焼きとかですね。餃子を作ったこともあります。当時も米やしょうゆはスーパーで売ってました。同居人が買ってくるお米は、箱に入っていて茹でてお湯を切ったらふわふわご飯が出来上がり、みたいのだから、こんなのはダメと言って、日本風の丸いお米を買ってきました。

しかし質がわるい。売れないせいか古古米みたいだし、なりより黒い粒がたくさん混じっています。できるだけ取り除こうとしましたが、無数にあるので諦めました。炊き上がったら消えてましたしね。でもどう考えてもネズミだかゴキブリだかの糞でした。ほかの人には内緒でしたけど。けっきょくそのお米、5袋くらい買ったかな。みんな病気にならなくて良かったね。30年経ったからさすがに時効ということで。

falanさん、マールブルクでしたか!
私は行ったことがないんです。「ハンナ・アーレント」は非常に評判のようですね。
きっと、恋が芽生える街なんですね(*^_^*)

アイゼンヒュッテンシュタットでは、褐炭の匂いはなかったんですか。あの街は当時、労働者が主役の、DDRの理想を体現するような都市で、住まいの設備もよかったのではないかと思っています。
アイゼナハの住宅設備水準は、アイゼンヒュッテンシュタットに比べて古かったのでしょうかね。
アイゼンヒュッテンシュタットは、DDRによって作られた街でしょうが、アイゼナハのほうは歴史ある街ですもんね。

カレーや肉じゃがは、今の私にとってもご馳走です!
すき焼きも作られたなんて! 薄切りのお肉がないから、私はあきらめているんです。

私は79〜80年にBochumにいましたが、その当時はスーパーにお米はありました。たぶんMilchreisだと思います。
醤油があったかどうかは、覚えていません。ときどき母親とデュッセルへ買い出しに出かけていたので、もしかしたらなかったのかもしれません。

今は種類を問わなければ、どこでもお米が買えてありがたいです。アジアショップへ行けば日本米(イタリア産など)もありますし。
黒い粒も、入っていませんよ(^_^)
当時のお米を食べていた皆さん、病気にならなくてよかったです!
そうです、もう時効ということでね。笑い話になりますね。

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